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==== 本土防空 ====
[[File:B-17 Flying Fortress.jpg|thumb|left|[[B-17]] (航空機)|B-17 フライングフォートレス]]。1943年からイギリスより大量に飛来し各地で迎撃戦が行われた]]
 
開戦当時のドイツ本土の防空体制は皆無に等しかった。というのも、当時のドイツ空軍総司令官である[[ヘルマン・ゲーリング]]が豪語したように、「[[防空]]には[[高射砲]]」という考えがあったからである。さらに、敵航空基地を絶え間なく攻撃すれば、相手が防空で手一杯となって爆撃ができないであろうという考えが存在していたのだ。1940年5月15日、その考えが一変する。真夜中のドイツ本土上空に英爆撃機が出現し、さらには肝心の高射砲部隊が上手く機能しなかったのである。この後、[[夜間戦闘機]]部隊とレーダー防空網の整備が進められる中、英空軍による大都市への夜間爆撃が恒常化する。
 
大戦中期に、アメリカ軍が参戦。1942年に[[アメリカ陸軍航空軍]]([[第8空軍 (アメリカ軍)|第8空軍]]など)による軍事施設に対する昼間爆撃が本格化したが、1943年のシュヴァインフルトの爆撃では、迎撃によりアメリカ側に耐え難い損害を強いた。
 
護衛戦闘機の随伴が可能になった1944年からは、戦闘機隊を先行させて[[飛行場]]を強襲する、いわゆるスイープなどの対抗策が講じられた。さらに[[ノルマンディー上陸作戦]]で、フランスに派遣された迎撃戦闘機の基地が占領されていくと、ドイツ空軍側は戦力維持が難しくなっていった。さらに合成石油製造工場の爆撃は大きな打撃となり、その結果、<!--皮肉にも-->戦闘機は製造されるが燃料が無いという悪循環に陥った。
[[File:Lancaster over Hamburg.jpg|thumb|170px|[[ハンブルク]]を空襲するイギリス空軍の[[アブロ ランカスター]]]]
戦争末期に近づくにつれ、連合軍による空襲はますます激化し、1944年中には主な軍需工場が集中していた[[ルール地方]]は焦土と化した。また、イギリス軍による夜間爆撃に対しては、爆撃機であった[[Ju 88 (航空機)|Ju 88]]を夜間迎撃機に改造して使用した。ジェット戦闘機の開発も進められたが、ヒトラーの横槍(爆撃機仕様が優先された)などもあり、実戦に登場したのは戦争も末期の頃だった。工場地帯、また輸送路が次々に破壊されていく中で生産数は減り続けていった。<!--ジェット戦闘機の生産自体はアウグスブルクで行われており、ルール工業地帯爆撃との直接的な繋がりはない。また、各部品の生産工場の分散も行っているので生産はある程度続けられていたはずです。いずれにせよ、この文章は誤解を招くものと思われます-->1943年7月24日から8月2日には[[ハンブルク空襲]]で戦略爆撃機2865機が飛来し、総量9,185トンもの爆弾を投下。死者は5万人以上を数えた。この爆撃以降、ドイツ本土の都市を目標にした大規模爆撃が激化していった。