「シュラフタ」の版間の差分

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== 歴史 ==
シュラフタの起源は、[[スラヴ人]]が[[キリスト教]]を受容する前から存在していた戦士階級とも考えられる。シュラフタ(''Szlachta'')という言葉は「高貴な[[家柄]]」を意味する[[中世]][[ドイツ語]]の''Slahta''(現代ドイツ語の''Adels Geschlecht''に相当)という[[単語]]からの[[借用]]と言われるが、これは[[エルベ川]]を越えて東方に進んできた中世[[ドイツ人]]([[東フランク王国]]あるいはその後の[[神聖ローマ帝国]])との接触に刺激された[[ポーランド人]]たちが自分たちの統一国家を成立させたときよりも前の時代のこの地方のポーランド部族社会では固定した身分制度すなわち明確な「[[貴族]]」の[[概念]]がなかった、という可能性を示している。[[11世紀]]に成立した[[ポーランド王国]]では国内の分権傾向が強く、シュラフタ層が国王に対抗できる勢力を維持していた。[[カジミェシュ3世 (ポーランド王)|カジミェシュ3世]]の時代に、不輸不入権に基づく土地所有と紋章という2つの要件を満たす騎士がシュラフタ身分に属すると正式に定められた。[[1386年]]に[[リトアニア大公国|リトアニア大公]]ヨガイラがポーランド王[[ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)|ヴワディスワフ2世]]として即位し、[[ヤギェウォ朝]]の[[ポーランド・リトアニア合同]]が成立すると、大公国の貴族もシュラフタとなった。
 
この時代までのシュラフタは「クリムゾン・シュラフタ(Karmazynska Szlachta、[[真紅]]のシュラフタ)」という特別な呼ばれ方をし、ポーランド社会において最も高貴で由緒正しきシュラフタの[[家柄]]とされる<ref name="percentage of szlachta in the commonwealth" />。[[分家]]や新規登録などによりのちに貴族身分を得た中小シュラフタの家柄は「中シュラフタ」や「小シュラフタ」と呼ばれ、他国の貴族と同じように比較的大きな[[財産]]を持ち[[労働]]には直接従事しない者もいれば、ほとんど財産を持たずに[[官僚]]や[[御家人]]などとして労働する者もいた。制度上ではどのシュラフタも政治的に平等であった。
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== 参考文献 ==
*{{ja icon}} 『ポーランド・ウクライナ・バルト史 』/ 伊東孝之,井内敏夫,中井和夫. 山川出版社, 1998.12. (新版世界各国史 ; 20)
*{{ja icon}} 『ポーランド民族の歴史』/ 山本俊朗,井内敏夫. 三省堂, 1980.7.25 (三省堂選書 ; 75)
*{{uk icon}} [http://history.franko.lviv.ua/yak_r2-1.htm 『ウクライナ史の概説』/ N.ヤコヴェーンコ著. — キエフ: ゲネザ, 1997.]