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574年、義父ユスティヌス2世が[[サーサーン朝]]に敗北したショックで精神異常になると、副皇帝となって実権を譲られ、578年にユスティヌスの死により正式に皇帝に即位。即位当時西方の[[イタリア半島]]では[[ランゴバルト人]]が、[[バルカン半島]]では[[スラヴ人]]が帝国内に侵入が続いており、ローマ元老院は救援を要請していたが、帝国の全戦線で軍事行動をする財力がないのを実感したティベリウスは西方での軍事行動は諦めて補助金で対処し、東の[[サーサーン朝]]との戦いに力を注いだが、在位わずか4年にして死去した。
 
 
{{東ローマ皇帝||578-582}}
{{先代次代|[[東ローマ帝国の皇帝一覧#ユスティニアヌス朝|東ローマ皇帝]]|578年 - 582年|[[ユスティヌス2世]]|[[マウリキウス]]}}
 
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[[Category:582年没|ていへりうす2]]
 
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