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'''李博士'''(イ・パクサ、[[1954年]][[10月5日]] - )は、[[大韓民国|韓国]]の[[歌手]]。[[京畿道]]磨石(マソク)出身。[[ポンチャック]]・テクノの第一人者として知られる。
 
[[日本]]でのキャッチフレーズは『ポンチャックの帝王』。[[1990年代]]半ばに、ほんの短期間ではあるものの、ポンチャックブームを引き起こした。
 
==来歴==
[[京畿道]]で[[パンソリ]]を教える両親のもとに生まれる。自身もパンソリを会得していたが、もっと大衆受けする音楽に興味を持つと共に、同じフレーズのリフレインと軽快なメロディによるポンチャックへと音楽性を移行させると、韓国の観光会社が運営する観光バスでポンチャック歌手として20年にわたり活動を続ける。
その特異なキャラクターが受けて[[大日本除虫菊|キンチョー]]製品(コックローチS)の[[コマーシャルメッセージ|CM]]に出演し、[[江原道]][[アリラン]]の替え歌を歌った。[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系の『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP|HEY!HEY!HEY!]]』に出演した2番目の[[外国人]]歌手でもある。[[電気グルーヴ]]の前座としてではあるが[[日本武道館]]で公演をしたことがある。
 
本来、ポンチャックは中高年向けの[[ダンスミュージック]]、あるいは[[タクシー]]・[[バス (交通機関)|バス]]運転手の眠気覚ましの曲として軽んじられてきた。しかし、イ・パクサはこれらの日本における人気を受け、韓国に逆輸入される形で[[2000年]]にファーストアルバム(それ以前は[[カセットテープ]]での発売)「SPACE FANTASY」を発売し、若者を中心にしてヒットしている。
 
日本ではその特異なキャラクターが受けて、[[1995年]]に[[大日本除虫菊|キンチョー金鳥]]製品(コックローチS)S」の[[コマーシャルメッセージ|CM]]に出演し、[[江原道]][[アリラン]]の替え歌を歌った。また[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系の『[[HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP|HEY!HEY!HEY!]]』に出演した2番目の[[外国人]]歌手でもある。[[電気グルーヴ]]の前座としてではあるが[[日本武道館]]で公演をしたことがある。
 
これらのヒットを契機に、2001年に自伝「ハンボン・マンナボルッカヨ?(一度会ってみようか?)」を出版し、ベストセラーになった。儒教社会が未だに色濃い韓国で、学歴がないことは大変に恥ずかしいことであるが、それを「家が貧乏すぎて中学校に行く金がなかった」と正々堂々のカミングアウトをしたことで、ファンからは「苦労して実力で生きてきた人」と、逆に尊敬されている。また、自伝には離婚しても引っ越す金がなく、前妻と後妻が一時同居していたというユニークなエピソードもある。