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大隈の右足切断手術は、[[佐藤勇]]やドイツ人医師の[[エルヴィン・フォン・ベルツ]]の手により行われた。大隈はその後、来島について「爆裂弾を放りつけた者を憎い奴とは少しも思っていない。いやしくも外務大臣である我が輩に爆裂弾を食わせて世論を覆そうとした勇気は、蛮勇であろうと何であろうと感心する。若い者はこせこせせず、天下を丸のみにするほどの元気がなければだめだ」と語っている。<ref>『大隈伯昔譚』には、大隈がそう語ったと書かれている。大隈は来島の遺族に対して金を送っている。</ref>
来島本人は酒を受け付けず、大隈重信暗殺に出向く際、別れの盃は水であったという。
来島も学んだ[[興志塾]](通称[[人参畑塾]])の塾長[[高場乱]](たかばおさむ)は来島自決の報を聞き、「ながらえて明治の年の秋なから心にあらぬ月を見るかな」という嘆きの歌を詠んでいる。
 
== 作品 ==