「アケメネス朝」の版間の差分
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== 「アケメネス朝」は捏造か? ==
近年の研究により、ダレイオス1世自身が大キュロスの直系から帝位を簒奪したらしいということが明らかになってきた。従来の定説ではダレイオス1世はアケメネス朝の傍系とされるが、そもそもアケメネス朝の系図そのものがダレイオスの帝位簒奪を正当化するために捏造されたものだという説も出てきている。この説が真実であれば、キュロスの王朝とダレイオスの王朝に血縁関係はなく、[[王朝交代]]が起こったことになる<ref>例えば、青木健『アーリア人』(講談社、2009年、p.117-118)では、ハカーマニシュ家のダーラヤワウ(ダレイオス)一世がクル(キュロス)王家の後継者を抑えてペルシア皇帝に即位し、ハカーマニシュ家の系図の中にクル王家の系図を嵌め込んだとしている。</ref>。これならば、キュロス家の名前(<small>チシュピシュ、クル、カンブジヤ</small>)とダレイオス家
また、[[ストラボン]]によれば<ref>ストラボン『ギリシア・ローマ世界地誌』飯尾都人訳、龍渓書舎</ref>、最後のダレイオス3世も、もともとは従前のアケメネス朝とはつながりのない地方総督に過ぎなかったが、アケメネス朝が断絶したために擁立されたのだという。
== 歴代君主 ==
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