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[[ファイル:Sack of Magdeburg 1631.jpg|thumb|300px|包囲される[[マクデブルク]]]]
[[ファイル:Magdeburg 1631.jpg|thumb|300px|破壊される[[マクデブルク]]]]
'''マクデブルクの戦い'''
[[ゴトフリート・ハインリヒ・グラーフ・フォン・パッペンハイム]]及び[[ティリー伯ヨハン・セルクラエス]]に率いられた皇帝軍は富裕な都市マクデブルクを包囲した後陥落させた。
都市陥落後には[[傭兵]]で構成される兵士たちの制御が利かなくなり、住民の虐殺と略奪、市内への放火(
この事件は[[プロテスタント]]陣営に大きな衝撃を与えた。マクデブルクの惨劇を巡ってはプロテスタント、カトリック双方から激しい[[プロパガンダ]]合戦が行われたが、事件の性格上、プロテスタント側のプロパガンダが説得力を持った。それまで[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ・アドルフ]]率いるスウェーデン軍に、冷ややかな目で見つつ協力に消極的であった北ドイツのプロテスタント諸侯は、こぞってスウェーデン軍への協力を進めた<ref name="kiku" />。
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その後、プロテスタント側が[[カトリック教会|カトリック]]側を処刑する際に「''マクデブルクの正義''」といった言葉が使われた。
壊滅的な打撃を受けたマクデブルクでは、[[ヴェストファーレン条約]]発効の時点で
== 脚注 ==
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[[Category:神聖ローマ帝国の戦闘]]
[[Category:大量虐殺]]
[[Category:ザクセン=アンハルトの歴史]]
[[Category:1631年]]
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