「ウェンセスラスはよい王様」の版間の差分

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Loveless (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる 追加: tl:Good King Wenceslas
m リュじゃなくてル
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このうたのウェンセスラス王は、歴史的に実在した[[ボヘミア君主一覧|ボヘミア公]]の[[ヴァーツラフ1世 (ボヘミア公)|聖ヴァーツラフ1世]]([[:en:Saint Wenceslaus|Wenceslaus I]])がモデルとなっている。ヴァーツラフ1世は、[[907年]]に生まれ、[[935年]][[9月28日]]に暗殺された([[929年]]死亡説もある)。ボヘミア公ヴラチスラフ1世の息子で、当時、[[キリスト教]]の教線がボヘミア地方にも達し、父はキリスト教の信仰のなかに育ち、ヴァーツラフもまたキリスト教を捧持した。
 
しかし、[[ボヘミア]]では伝統宗教がなお勢力を持ち、貴族たちはキリスト教の到来によって自分たちの権威の失墜と支配権の喪失を恐れていた。ヴァーツラフは父の教えに、続いて敬虔なキリスト教徒の祖母リュ[[聖ルドミラ|ルドミラ]]([[:en:Ludmila of Bohemia|Saint Ludmila]])の薫陶を受け、キリスト教徒の公として、18歳のとき、ボヘミア公国の君主の座に就く。彼はキリスト教を広くボヘミアに広め、後に[[聖ヴィート大聖堂]]へと発展する教会を始め、多数の教会を建立する。また[[神聖ローマ帝国]]に臣従してその力を借りて布教を行った。
 
ヴァーツラフの転向は、ボヘミアの貴族たちに深刻な危機意識を齎し、神聖ローマ帝国に屈した裏切り者で異端者のヴァーツラフを排除する為、貴族達は連合し、公の弟ボレスラフもこれに加わった。[[935年]]9月の「聖コスマスと聖ダミアヌス」の祝祭に、ボレスラフは兄を誘って、祝いの為、教会へとやって来た兄を暗殺する。ボレスラフはヴァーツラフの後を襲ってボヘミア公となる。