「日本女子プロレス」の版間の差分

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[[1974年]]に[[国際プロレス]]の放映権を東京12チャンネルが獲得する条件として女子部の設けることを提言。これに伴い、日女の元選手の一部が参加。[[1976年]]に女子部が解散するまで続いた。
 
日女の系譜はその後、東京12チャンネルで放送された「[[撃突!女子格闘技大戦争]]」、千草らが元全女とともにの[[阿蘇しのぶ]]らが旗揚げした「[[ニューワールド女子プロレス]]」(「ワールド女子プロレス」として旗揚げ予定が頓挫して仕切り直しで旗揚げした団体だったが、1シリーズで解散。)と引き継がれた。
 
1980年代から1990年代にかけて活動した[[ジャパン女子プロレス]]の「太平洋岸タッグ王座」は小畑・佐倉が国プロ時代に獲得した「IWA太平洋岸タッグ王座」を持ち込み復活させたものである。