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'''国民擲弾兵'''(こくみんてきだんへい、独:''Volksgrenadier'')は、[[第二次世界大戦]]の[[ドイツ軍]]の[[歩兵師団]]の種別の1つである。[[1944年]]秋、[[労農赤軍|赤軍]]の[[バグラチオン作戦]]による[[中央軍集団]]の損失と[[ノルマンディ上陸作戦]]による[[第5装甲軍]]の損失を埋めるために考え出された[[編成]]である。度重なる激戦によりドイツの人的資源は枯渇しつつあり、略的な線が崩壊の危機の状況にある中で、ドイツ軍は攻より防を重視する様になっていた。そこで、通常の歩兵師団では9個[[大隊]]で構成されるものを、国民擲弾兵師団では6個大隊で編成を行った。装備は、重火器の供給不足と陣地内での戦闘能力重視とが相まって、[[突撃銃]]、[[短機関銃]]といった自動火器による短射程の火力を増加させた。6個のうち1個大隊は機動予備となっていたが、自動車化は不可能とされ自転車ですまされた。国民擲弾兵という名前は士気高揚高め狙い、国粋主義(Volk、国民)とドイツの伝統的軍組織(Grenadier、擲弾兵)を結合させたものである。約50個師団が戦争末期に編成された。
 
個々の師団の成り立ちは様々であり、戦闘で壊滅もしくは損害を受けた歩兵師団を母体としての実質的な再編成が行われたといえるものもあり、また完全に新しい師団として編成されたものもある。各部隊は少年兵や老人、健康上の理由から兵士として不適合と判断された者、傷病兵、もとは[[ドイツ空軍|空軍]]や[[ドイツ海軍|海軍]]所属の兵その質は決して十分なものでなかった。
 
国民擲弾兵師団は[[バルジの戦い]]、[[ジークフリート線]]や[[東部戦線]]における防衛戦闘など[[ヨーロッパ戦線]]の最終局面に投入された。多くの師団が基本的な戦闘訓練も不十分なまま実戦に参加したが、かつての正規の歩兵師団が編制の母体となった師団など、戦闘経験に長けた指揮官層に恵まれた一部の部隊は、その編成上の弱点をよく克服して戦略的に不利な状況で粘り強く任務を果たした。
 
良く似た名称で同時期に存在した部隊の国民擲弾兵(Volksgrenadier)と[[国民突撃兵]](Volksstrum)は別のものである。