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[[遼]]・[[金 (王朝)|金]]・[[元 (王朝)|元]]といった異民族王朝に支配された時代、唐宋を通じて獲得された言語学的な知識が韻書にも字書にも盛り込まれた。[[五音]][[三十六字母]]といった[[声母]](頭子音)に関する[[韻図]]の知識が応用され、遼の『[[龍龕手鑑]]』、金の『[[五音篇海]]』では部首が[[子音]]・[[声調]]順に並べられ、韻書においても小韻の配列を子音・声調順にした『[[五音集韻]]』が編まれた。韻目数も併合され、206韻を106韻に減らした[[平水韻]]が行われるようになり、元の『[[中原音韻]]』は[[四声]]・[[韻母|韻]]順をやめて韻・四声順とし、『切韻』の古い音系ではなく、当時の音系に基づいた16韻部によって漢字を分類した。
 
また字書では伝統の540部の[[部首]]が併合されるようになった。分類・検字に便利なように『[[龍龕手鑑]]』(242部)では字源にかかわらず[[筆画]]を単なる記号とする部首の改良を行い、『[[五音篇海]]』(444部)およびそれに先行する『類玉篇海』では同部内を[[画数]]順に並べるといったことが行われた。画数順をさらに部首の分類にまで及ぼしたのが[[明]]の『[[字彙]]』(214部)であり、この方法は『[[正字通]]』『[[康熙字典]]』によって継承され、現代に至っている。なお『康熙字典』以降、字書は「字典」と呼ばれることが多くなった
 
なお、『[[急就篇]]』『[[倉頡篇]]』などの初学者用の識字教科書、『[[隷辨]]』『[[甲骨文編]]』などの特殊な書体の字を集めた書物も字書に分類される。