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'''アルタクサタの戦い'''は[[第三次ミトリダテス戦争]]において[[紀元前68年]]に[[執政官]][[ルキウス・リキニウス・ルクッルス]]率いる[[共和政ローマ|ローマ]]軍と[[ポントス王国|ポントス]]王[[ミトリダテス6世]]に味方した[[アルメニア王国|アルメニア]]王[[ティグラネス2世]]率いる[[アルメニア王国]]軍との間に起こった[[会戦]]である。
 
[[ティグラノケルタの戦い]]でティグラネスを破ったルクルスは逃げるティグラネスを追った。略奪をして挑発をしても敗北に懲りたティグラネスは戦いに応じなかったので、ルクルスは敵をおびき出すためにティグラネスの妻子のいる古都アルタクサタへと進撃した。この動きを知ったティグラネスは軍を動かし、アルタクサタへの途上の[[アルサニアス川]]でローマ軍と対陣した。
[[執政官]][[ルキウス・リキニウス・ルクッルス]]に率いる[[共和政ローマ|ローマ]]軍と[[ポントス王国|ポントス]]王[[ミトリダテス6世]]に味方した[[アルメニア王国|アルメニア]]王[[ティグラネス2世]]率いる[[アルメニア王国]]軍が戦い、ローマ軍の勝利に終わった。
 
ルクルスは犠牲を捧げた後、11個コホルスを前衛とし、残りを敵の側面への攻撃への備えとして後衛に配した。対し、ティグラネスはこれに選り抜きの騎兵部隊、勇猛で知られる[[マルディ人]]弓騎兵、[[イベリア]]人の槍兵を配置した。しかし、彼らはティグラネスの期待には応えず、ローマ軍の騎兵と小競り合いをし、ローマ軍の歩兵が接近するやすぐに逃げ、ローマ軍の追撃を受けた。しかし、ティグラネス麾下の騎兵は勇戦し、ルクルスが騎兵部隊を呼び戻さねばならぬほどであった。ルクルスはティグラネス軍を突き崩し、ティグラネスを同行していたミトリダテス共々敗走させた<ref>プルタルコス, 31</ref>。
しかし、当のミトリダテスはローマ軍から逃げ続けている上、略奪品を得ることが出来なかったという事実によって兵士たちは暴動を起こし、これ以上の進軍を拒否した。これによって[[元老院]]は軍の司令官をルクルスから[[ポンペイウス]]に交代させることを決定した。
 
ルクルスはさらに敵を置く深くまで追おうとしたが、冬が迫っていたために兵士たちはそれに激しく反対したために断念し、[[ニシビス]]へと向い、同地を攻略した後、そこで越冬した<ref>ibid, 32</ref>。
 
ルクルスは元から兵士からの人望がなく彼らは彼に悪感情を抱いており、またローマ本国でも[[プブリウス・クロディウス・プルケル]]、[[プラエトル]]の[[ルキウス・クィントゥス]]など彼を弾劾する声が起こり、[[元老院]]は軍の司令官をルクルスから[[グナエウス・ポンペイウス]]に交代させることを決定した<ref>ibid, 33-35</ref>。
 
== 註 ==
{{reflist}}
 
== 参考文献 ==
 
*[[プルタルコス]]著、[[鶴見祐輔]]訳、『[[対比列伝|プルターク英雄伝]] IV』、[[改造社]]、1934年
 
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[[Category:紀元前の戦闘68年]]
[[Category:共和政ローマの戦闘]]
[[Category:古代オリエントの戦闘]]