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== 歴史 ==
 
指圧の原点は'''手当て'''にはじまる。日本では、有史以来様々な手当て即ち[[手技療法]]が営まれてきた。明治以降になりアメリカの3大手技と呼ばれる[[カイロプラクティック]]、[[オステオパシー]]、[[スポンジロセラピー]]が次々に流入し、日本に古来から伝わる様々な手技に加え、[[中国伝統中国医学]]が伝来した[[按摩]]や導引按蹻、活法なども融合された結果、一時は300種以上の多種多様な手技が[[療術]]として混在していたが、[[大正]]9年([[1920年]])頃には既に現在の指圧療法の原型となる指圧が[[浪越徳治郎]]によって確立されていたとされている。[[太平洋戦争]]の敗戦後、[[連合国軍最高司令官総司令部]]の指導によりほとんどの療術が禁止されたが、昭和30年([[1955年]])8月に「あん摩師、はり師、きゆう師及び柔道整復師法」のあん摩があん摩(マッサージ、指圧を含む)と変更され、指圧が法律上で初めて認められた。しかしながらその法律の名称があくまで独立した手技として認められていなかったため、「指圧はあんまに非ず」のスローガンの下、[http://www.shiatsu.or.jp/index.html 日本指圧協会]、東京指圧師会などの指圧師団体が立ち上がり、昭和39年([[1964年]])6月、遂に「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師、柔道整復師等に関する法律」と並立名称に変更された(昭和45年([[1970年]])に[[柔道整復師法]]が単独法になったため[[あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律]]となる)。
 
はじめて指圧という名称そのものが使われた年代については多少の異説はあるものの、現在の指圧療法を体系付け確立したのは昭和15年に現在の日本指圧専門学校[http://www.shiatsu.ac.jp/index.html 浪越学園]の前身である指圧学院を設立した[[浪越徳治郎]]である。浪越徳治郎は、わずか7歳の時に[[多発性関節リウマチ]]で苦しむ母を救いたい一心から、母指と手掌による押圧中心の手技を独自に会得し、最初は圧迫療法、後に指圧療法と名付けた。その後[[マリリン・モンロー]]や[[モハメド・アリ]]、[[吉田茂]]首相をはじめとした歴代の[[総理大臣]]、[[A級戦犯]]を裁いた[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]の[[ジョセフ・キーナン]]首席[[検察官|検事]]など、国内外の著名人を治療したことにより、日本はもとより全世界に指圧(SHIATSU)を普及させた。また、彼の設立した[[日本指圧専門学校]]は、中国伝来の[[経絡]]理論を初めて指圧に取り入れて、[[経絡指圧]]を確立した[[井沢正]]をはじめ、海外では[[禅指圧]](Zen Shiatsu)と呼ばれて欧米を中心に普及している増永式の[[増永静人]]、念仏を取り入れて精神統一を図る[[タオ指圧]](Tao Shiatsu)の[[遠藤喨及]]、指圧のツボを経絡経穴に当てはめ解剖学生理学的に解明した[[ツボ指圧]](TSUBO SHIATSU)[http://www.tsuboshiatsu.com/index.htm Tsubo Shiatsu]の[[池永清]]など国の内外で活躍する多くの卒業生を輩出している。<br />現在、指圧は英語名でもそのままSHIATSUと訳され、日本の独特の手技療法として世界中に普及しつつある。