「東条貞」の版間の差分
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[[愛媛県]][[松山市]]出身。[[1906年]][[北海道]]に渡った。[[室蘭市|室蘭]]で室蘭タイムス(のち室蘭毎日新聞を経て[[室蘭民報]]となる)の記者となり、その後[[北見市|野付牛(現・北見市)]]で北見実業新聞(のちの[[網走新聞]])の記者を、[[滝川市|滝川]]で北海中央新聞の記者を務めた。[[1913年]][[網走市|網走]]に移住、[[1918年]]網走町会議員に当選した。[[1920年]]網走新聞(戦後の同名新聞とは無関係)を創刊するが3年後に廃刊した<ref>[http://okhotsk.vis.ne.jp/rekishi/taisyo.html 網走市歴史年表 大正時代]</ref>。[[1924年]]には北海道会議員に当選した。1928年の[[普通選挙]]による[[第16回衆議院議員総選挙|最初の総選挙]]で旧北海道5区から[[立憲政友会]]公認で立候補したが落選、[[1930年]]の[[第17回衆議院議員総選挙]]で初当選、中央政界に入った。初当選から2年後の[[第18回衆議院議員総選挙]]では出馬自体を辞退したが<ref>[http://okhotsk.vis.ne.jp/rekishi/syowa.html 網走市歴史年表 昭和時代(戦前・戦中)]</ref>、[[1936年]]の[[第19回衆議院議員総選挙]]に当選し政界に復帰した。その後補欠選挙も含め連続4回当選。[[拓務省|拓務大臣]][[秘書官]]・[[逓信省|逓信]][[参与官]]を歴任した。
[[1939年]]の政友会分裂に際しては[[久原房之助]]や[[鳩山一郎]]とともに正統派に所属した。政友会正統派内は鳩山・[[三土忠造]]・[[安藤正純]]ら
戦後は旧政友会正統派の大半を占める鳩山
== 参考文献 ==
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