「用不用説」の版間の差分

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そこで、彼はこのようにして生涯の間に身につけた形質が、子孫に伝わるのだと考えたのである。野外では、多くの動物は一定の環境下で何千、何万年にもわたって世代を繰り返すから、世代ごとの蓄積は少しであっても、それが続くことで次第に大きな変化となると考えたわけである。
 
よく[[キリン]]の首が引き合いに出される。キリンは[[ほ乳類]]の中にりながらって、他のものと比べて異様に首が長い。それを進化で説明しようとすれば、元は首が短かったと見るのが当然である。そこで、キリンの首が長いのは高い枝にある木の葉を食べようとして、いつも首を伸ばしていた。そのために次第に首が長くなり、大人になるまでには首が長く、強くなる。そのようなキリンが子供を生めば、生まれた子供にはその形質がわずかに伝わるので、親が生まれたときよりも、その子供の首は少しだけ長くなっている(はずだ)。キリンはそのような生活を何千年にもわたってアフリカのサバンナで繰り返していた。その結果長い年月の間に首が伸びたと考えるものである。
 
彼の進化論は、生物側に変化の主体性があるのが特徴である。
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この実験への批判としてもう一つ可能なのは、実験期間が短すぎる、というものである。せめて100年続ければ、何か結果が出たかも知れない。これは、進化に関する実験の難しさでもある。
 
ラマルクの用不用説は、素朴でなじみやすい点はあるが、科学的説明としては、その機構等の問題からも問題が多く、その後そのままの形でこれを主張するものはいなかった。しかし、生物側に進化の主体性を求める主張は繰り返しあり、そのような主張を'''[[ネオ・ラマルキズム''']]と呼ぶ。
 
[[チャールズ・ダーウィン]]の[[自然選択説]]が発表されたことで、進化論の正当性が認められ、進化論の中心はその後はずっとダーウィニズムと、その継承であるネオ・ダーウィニズムへと続くことになるが、その理論は完全に機械的で、その説明によれば、生物の進化は偶然にのみ左右されるように見える。そこに疑問を感じてネオ・ラマルキズムに近づくものがいるのも事実である。