「ウィレム1世 (オランダ王)」の版間の差分

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ウィレム1世は「開明的専制君主」「遅れてきた啓蒙専制君主」「商人王」などと評される。彼は保守派のブルジョワジーや旧都市貴族を支えとして政治権力を独占していた。南北[[ネーデルラント]]は20年に及ぶ動乱のもとで経済活動が混乱しており、その建て直しが求められていた。そのため、ウィレム1世は商工業の積極的な振興に力を注いだ。また、200年にわたって分かたれてきた南北ネーデルラントの統合を推し進めようとした。しかし統合は破綻し、[[1830年]]に[[フランス7月革命]]の余波で[[ブリュッセル]]でも暴動が起こり、[[ベルギー独立革命]]へと発展した。結果、[[ベルギー]]は独立して[[ザクセン=コーブルク=ゴータ家]]の[[レオポルド1世 (ベルギー王)|レオポルド1世]]を国王を迎えた。ウィレム1世は失意のうちに[[1840年]]、退位して息子の[[ウィレム2世 (オランダ王)|ウィレム2世]]に王位を譲り、[[1843年]]に死去した。
 
{{先代次代|[[オランダ君主一覧|オランダ国王]]|1815 - 1840|([[ナポレオン・ルイ・ボナパルト|ローデウェイク2世]])|[[ウィレム2世 (オランダ王)|ウィレム2世]]}}
{{先代次代|[[ルクセンブルク大公]]|1815 - 1840|―|[[ウィレム2世 (オランダ王)|ギヨーム2世]]}}
 
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[[Category:オランダの君主]]
[[Category:ルクセンブルク大公]]
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[[Category:オラニエ=ナッサウ家]]
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