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'''戸田 氏定'''(とだ うじさだ、[[1657年]]([[明暦]]3年) -[[3月30日 (旧暦)|3月30日]]([[17331657年]][[95114日]]) - ([[享保]]18年[[7月23日 (旧暦)|7月23日]]([[1733年]][[9月1日]]))は、[[江戸時代]]中期の[[大名]]。[[美濃]][[大垣藩]]の第4代藩主。父は第3代藩主・[[戸田氏西]](氏定は嫡男)。母は[[内藤忠政]]の娘。正室は[[松平信之]]の娘。官位は従五位下。采女正。
 
1657年3月3130日生まれ。[[1684年]]6月に父・氏西が死去した後の同年8月4日に家督を継いで藩主となった。[[1687年]]、弟の[[戸田氏成]]に3000石を分与する。このため氏成は養父・[[戸田氏利]]の所領を合わせて1万石の大名となり、[[大垣新田藩]]を創始することとなった。[[1694年]]、[[飛騨国]]検地の総奉行となる。
 
しかし[[1701年]]に従弟の[[浅野長矩]]が[[江戸城]]内にて有名な刃傷事件を起こしたため、連座により幕府から出仕を拒絶されるようになった。翌年には家中における人事改革を行なっている。