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'''コンスタンス2世“ポゴナトス”'''(<small>[[ギリシア語]]</small>:{{lang|el|'''Κώνστας Βʹ ὁ Πωγώνατος''', Kōnstas II ho Pōgōnatos}}, [[630年]][[11月7日]] - [[668年]][[7月15日]])は、[[東ローマ帝国]][[ヘラクレイオス王朝]]の[[皇帝]](在位:[[641年]] - 668年)。[[コンスタンティノス3世]]の子で、元の名は'''フラビオス・ヘラクレイオス'''。のち「コンスタンティノス」。「コンスタンス」は「小さなコンスタンティノスの意味」で、“ポゴナトス”は「髭が生えている」を意味するあだ名。彼を本名から「'''コンスタンティノス4世'''」と呼ぶ場合もある。
 
641年、祖父・[[ヘラクレイオス]]の死により父・コンスタンティノス3世が即位したが、異母兄弟の[[ヘラクロナス]](ヘラクレイオスとその姪マルティナの子)との間に皇位をめぐっての争いの最中に父は死亡。ヘラクロナスを擁したマルティナが権力を掌握しようとしたが、中央軍長官であったウァレンティノスを中心とするコンスタンティノス3世派と、首都市民(サーカス党派)の力によって、フラビオス・ヘラクレイオスが11歳で共同皇帝となる。その際に祖父・父の名「ヘラクレイオス」を外して「コンスタンティノス」と名乗った。さらに[[元老院]]などの画策によってヘラクロナスらは廃位・追放され、641年末(あるいは[[642年]]はじめ)にコンスタンスが単独の皇帝となった。