「バクトリア語」の版間の差分

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[[クシャーナ朝]]の時代には、貨幣や碑文にみられることから[[公用語]]の[[ギリシア語]]と並存していたが、ギリシャ語が徐々に衰退していくのとは対照的に、バクトリア語は現地の公用語として地位を確立していったと考えられる。特に[[カニシカ王]]の時代には、貨幣銘として永らく使用されていたギリシャ語がバクトリア語表記へ改められることとなった。
 
クシャーナ朝の領土拡大とともに話し手分布も拡大し、[[仏教]]や[[マニ教]]の経典が著された頃には、[[インド]]北部]]から[[中央アジア]]の[[トゥルファン]]に至る地域まで及んでいたと思われる。
 
紀元後を経てもなお中央アジア・インド北部にまたがる公用語としての地位と命脈を保ち続けたバクトリア語であったが、その後の[[アラブ人]]・[[チュルク人]]の到来等を経て、中世までに話者が消滅したと考えられている。