「池田晶子 (文筆家)」の版間の差分

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塾生 (会話 | 投稿記録)
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[[アカデミック]]な世界とは距離を置き、あまり同時代の哲学者との関連性を論じられることが少なかったが、亡くなる直前の[[ガダマー]]とドイツで対談するなど、活動の幅は広かった。『[[朝まで生テレビ]]』にパネリストとして招かれたなどを除いて、映像メディアに出演する機会は少なかった。
 
美貌の独身の哲学者という触れ込みで文筆活動を行い、エッセイ等においても既婚である事実や配偶者に触れることは全くなかった。肉親(両親)に関する話題はあったが、むしろ愛犬を話題とすることのほうが多かった。夫とは、子供は絶対に産まないという条件で結婚した<ref> [http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/988 日本財団会長笹川陽平ブログ「池田晶子と哲学」]</ref>とされる。
 
晩年は『週刊新潮』の『人間自身』(以前は「死に方上手」というタイトルだった)、『サンデー毎日』で『暮らしの哲学』を連載するほか、『HANAKO』で人生相談の回答者としても登場していた。