「不知火光右衛門」の版間の差分

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[[画像:Shiranui and Kimenzan.gif|thumb|200px|不知火(左)の構えは現在の雲竜型。右は[[鬼面山谷五郎]]]]
'''不知火 光右衛門'''(しらぬい みつえもん(読みは'''こうえもん'''説あり)、[[文政]]8年([[1825年]]) - [[明治]]12年([[1879年]])[[2月24日]])とは、[[財団法人]][[日本相撲協会]]が認定している第11代[[横綱]]である。本名は近久峰松(旧姓は原野)。肥後国菊池郡陣内村(現在の熊本県菊池市)出身。身長177cm、体重120kgと伝わる。
しばしば、同じ肥後出身の第8代横綱である[[不知火諾右衛門]]や不知火光五郎(現福岡県山田市(現嘉麻市)出身の不知火光五郎(余りの強さに毒を盛られて暗殺されたという)と混同される。
 
2つの[[横綱土俵入り]]のうち、[[雲龍型]]の考案者であるといわれている。