「置賜郡」の版間の差分

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*[[1591年]]([[天正]]19年) - [[豊臣秀吉]]の[[奥州仕置]]により[[伊達政宗]]は国替えを命ぜられ、[[仙台]]に遷り、代わって[[蒲生氏郷]]が[[会津]]に配置され、置賜郡は蒲生領となる。
*[[1598年]]([[慶長]]3年) - 蒲生氏は[[宇都宮]]に移され減封。代わって[[越後]]の[[上杉景勝]]が会津に入り、置賜郡はその家臣である[[直江兼続]]が統治する。
*[[1600年]](慶長5年) - [[関ヶ原の戦い]]で東軍が勝利したため、西軍であった上杉景勝は[[徳川家康]]に降り、翌年([[1601年]])、会津地方が没収され、上杉景勝の領地は置賜郡・[[信夫郡]]・[[伊達郡]]のみとなった。以後、置賜郡は[[上杉氏]]のもと、[[米沢藩]]として機能する。財政難のため一時は領地を返上することまで検討されたが、第9代藩主[[上杉治憲]](鷹山)による改革によって藩政を建て直し、幕末まで存続した。
*[[1878年]]([[明治]]11年)7月22日 - 置賜郡は[[東置賜郡]]・[[西置賜郡]]・[[南置賜郡]]に分割されて消滅。
* [[1957年]]([[昭和]]32年)- 東置賜郡赤湯町中山地区が、境界変更により[[上山市]]に編入される。以降、一般に、「置賜地方」からは中山地区は除かれることになる。