「アクティウムの海戦」の版間の差分

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兵員の数ではアントニウス・クレオパトラ連合軍が上回っていたが、両軍が少し交戦した時点でクレオパトラの艦隊が戦線を離脱し、アントニウスはこれを追って撤退したため、[[指揮官]]を失ったアントニウス軍は陸海ともに総崩れとなって潰走、オクタウィアヌスの勝利となった。
 
アクティウム海戦の敗北によって、アントニウスに味方していた[[古代イスラエル|ユダヤ]]王[[ヘロデ大王|ヘロデ]]らも離反してオクタウィアヌス側へ転向した。アントニウスはエジプトに帰還するクレオパトラの船を追った。オクタウィアヌス軍から、部下を置き去りにし、女を追って戦場を後にしたと嘲笑されたアントニウスは、エジプトの首都[[アレサンドリア]]へと逃亡した。アントニウスはクレオパトラが自殺したとの報を聞き、自らも自刃した。クレオパトラ自殺は誤報であったので、アントニウスはクレオパトラの命令で彼女のもとに連れて行かれ、彼女の腕のなかで息絶えたとされる。クレオパトラもオクタウィアヌスに屈することを拒んで自殺した。[[アスプコブラ|コブラ]]に身体を噛ませての死だったと伝わっている。
 
オクタウィアヌスは、これにより[[内乱の一世紀]]に終止符を打ち、[[地中海世界]]の統一も果たして、みずからは[[プリンケプス]]として[[帝政ローマ|帝政]]への道をひらいた。