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'''レイモンド・エドワード・ブラウン'''(Raymond Edward Brown,1928年5月22日-1998年8月8日)は[[アメリカ]]の[[ローマ・カトリック]]の祭司で[[聖書学者]]であった。彼は、「[[ヨハネ共同体]]」の仮説に関する専門家と見なされていた。ヨハネの福音書の著者問題とイエスの誕生と死における影響力のある研究を書いた。ブラウンはニューヨークのプロテスタント・[[ユニオン神学校]]の名誉教授で、そこで29年間教えた。彼は、そこで最初の終身在職権を得たローマ・カトリックの教授であり、そこで優れた講義で名声を得た。
 
ブラウンは、聖書の歴史的解釈を応用した最初のローマ・カトリックの学者だった。19世紀にプロテスタントの間で聖書批評学が発展した時に、ローマ・カトリック教会の宣告は、1893年にこの研究に反対して、本質的に禁止した。1943年に、しかしながら、教会は、カトリックが学者達が聖書を歴史的に探索されるためにガイドラインを発布した。ブラウンはこの回状を「聖書的進歩の[[マグナ・カルタ]]」と読んだ。[[第2バチカン教会会議]]は更に[[高等批評]]と、ブラウンの方法論を弁護しているように彼は感じた。
 
カトリック教会の人々はブラウンが聖書全体の誤りを否定して、カトリック信仰の多数の記事の歴史的正確さの疑いを投げ捨てたと主張したので、ブラウンはカトリックの伝統主義者の間で論争者を残した。