「パブリック・エナミー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
25行目:
結成から5年後の[[1987年]]、デビューアルバム、『[[YO! BUM ラッシュ・ザ・ショウ]]』を発表し、好評を博した。さらに[[1988年]]、ヒットシングル"Don't Believe the Hype"を含む2ndアルバム、『[[パブリック・エナミーII]] - ''It Takes a Nation of Millions to Hold Us Back''』を発表し、前作より好調なランキングを得た。
 
彼らはさらに、[[1990年]]に3rdアルバム、『[[ブラック・プラネット]] - ''Fear of a Black Planet''』をリリース。このアルバムは、2008年現在、彼らのアルバムの中で最も売れたアルバムであり、[[アメリカ国会図書館]]の重要保存録音物として永久保存されている。収録されているシングル曲には、救急活動が黒人地区においては白人地区よりも遅く到着することを批判した"911 is a Joke"や、PE自身のことを歌ったと考えられている"Fight the Power"がある。この曲はヒップホップ史上最も人気と影響力のある曲の一つであり、[[スパイク・リー]]が監督した映画、『[[ドゥ・ザ・ライト・シング (映画) |ドゥ・ザ・ライト・シング]]』のテーマ曲でもあった。
 
パブリック・エナミーは様々な面において先駆者だったといえる。例えば[[ターミネーターX]]は、"Rebel Without A Pause"で聴くことができるように、[[スクラッチ]]をより洗練されたテクニックに昇華させたし、プロデューサーユニットのThe Bomb Squadは斬新なサンプリングやビートを提示した。批評家のスティーブン・トーマスは「(PEは)プロデューサーチームのthe Bomb Squadを通じて[[フリー・ジャズ]]やハード[[ファンク]]、さらには[[ミュジーク・コンクレート]]の要素さえも取り込んで、前例のないようなぎっしりとした凶暴なサウンドを作り上げた」と評した。また、ラップの面においても、PEは政治的・社会的あるいは文化的な意識を、巧みで詩的な[[ライム]]にのせることによってラップの世界を変革した。