「石田一松」の版間の差分
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他のヒット曲に『時事小唄』、『[[ノンキナトウサン#発表後の反響|のんきな父さん]]』、『いやぢゃありませんか』、『春の名残り』、『男の恨み』などがある。
[[1932年]]、吉本のトップスターであった[[柳家金語楼]]の推輓で吉本興業([[東京吉本]])専属となり、[[浅草]]万成座で初舞台。一時は[[弁護士]]を目指していたと言われ“インテリ・時事小唄・法学士”の看板を掲げて[[寄席|高座]]に上がり、洋服姿で[[ヴァイオリン|バイオリン]]片手に『のんき節』で売り出し人気を博した。『のんき節』は[[添田唖蝉坊]]が作ったものだが、石田は自作を加え、替え歌にして庶民の側から社会を風刺した。「~凡て内密で取引きするのが闇取引きで御座います。帝国議会の闇取引きは秘密会議と申します~ハハのんきだね~」などと当時の軍部や政治権力、社会の矛盾を辛辣に批判。権力に抵抗する演歌師の姿勢をそのまま昭和の寄席に持ち込んだともいうべき芸で当局には睨まれ、しばしば出演停止を命じられたが庶民からは圧倒的人気を博した。
また舞台、テレビ、ラジオのほか、
===芸能人代議士===
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