「ジュール・デュピュイ」の版間の差分

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デュピュイの業績はその中でも最高峰のものと位置付けられる。彼は1844年に、[[橋梁]]の最適な通行料の決定に関わる論文を公表した。彼が[[限界効用]]の逓減する曲線を導入したのはこの中においてである。ある財の消費量が増大するにつれて、その財の限界効用は消費者にとって減少する。それゆえ、通行料の低下(限界効用の低下)は、橋を利用しようとするより多くの人々(より高い消費水準)をもたらす。逆に言うと、交通量(橋の通行を許可された人々)の増加により、その財(その価格)に支払おうとする人の支払い意欲は減少する。
それゆえ、限界効用逓減の概念は、それ自体が下方へ傾斜する[[需要曲線]]に翻訳されるべきである。こうして彼は、需要曲線を限界効用曲線と同一視した。これは経済学者が限界効用から導かれた需要理論を提唱した最初であった。需要曲線自体はフランスの経済学者[[アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー|クールノー]]によりすでに描かれていたが、クールノーの需要曲線は理論的裏づけがなかった。
 
デュプイは次に、「相対的効用」を、需要(限界効用)曲線の下方、価格の上方の範囲として定義し、それを異なる価格のもたらす福祉効果(厚生)の尺度として用いた。-- 価格(あるいは橋の通行料)が0になったとき、公的福祉は最大化される、と話を結んだ。これは後に、[[アルフレッド・マーシャル|マーシャル]]の[[消費者余剰]]として知られるようになった。
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デュピュイの経済学者としての評判は、自由放任経済学の擁護者(彼は1861年に『通商の自由』という本を書いた)にとどまらず、定期刊行物への頻繁な寄稿で知られる。公共事業の純経済利益の評価に対する欲求から、デュピュイは経済発展の能力を分析し、効用理論の枠組の構築と、公共工事から得られる繁栄の測定を試みた。
 
 
デュピュイは経済学者と評価される事が多いが、[[ジョルジュ・オスマン|オスマン]]市政下でパリの上下水道整備に取り組んだことも彼の大きな業績である。オスマンとは意見の食い違いも多かったが、維持管理用の歩道を備えたパリの大下水道の最初の建設工事を指揮したのはデュピュイで、そのため、大下水道は「デュピュイの洞窟」と呼ばれる事もあった。