「ジキル博士とハイド氏」の版間の差分

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[[Fileファイル:Dr Jekyll and Mr Hyde poster.png|thumb|right|250px|1880年のポスター。旧友の前でハイドからジキルへ変身する場面]]
『'''ジキル博士とハイド氏'''』(ジキルはかせとハイドし、原題:『'''ジキル博士とハイド氏の奇妙な物語'''』('''''The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde'''''))は、[[ロバート・ルイス・スティーヴンソン]]の代表的な小説の1つ。[[1885年]]に執筆され、翌[[1886年]][[1月]]出版。通称は'''ジキルとハイド'''。
 
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なお、ハイド(hyde)という名前は、隠れる(hide)に掛けたものである。
 
話の冒頭には従兄弟のキャサリン・デ・マットス(Katherine De Mattos、[[1851年]]-[[1939年]])への献辞と共に[[ヒース]]の茂る荒野について歌った4行の詩が掲げられている。本文は、アターソンの回想という体裁を取る本編と、ジキルの告白の二部からなる(同様の作品には『[[緋色の研究]]』、『[[こゝろ]]』がある)。
== あらすじ ==
[[ロンドン]]在住で、医学、法学の博士号を持つジキル博士の家にしばしば出入りする残酷な醜男ハイド156cm氏。ジキル博士の友人であるアターソン弁護士は2人が異常に親密な関係である事に疑問を抱き、調査をしていく。そんな中、ハイド156cmは殺人を犯してしまい、姿を消す。さらに、ジキルの友人ラニョンが奇妙な遺書を残して死去する。そして・・・……
 
== ジキル博士のモデル ==
18世紀半ばの[[エジンバラ]]の市会議員で、石工ギルドの組合長をしていたウィリアム・ブロディー([[:w:William Brodie|William Brodie]])がジキル博士のモデルとされる。
ウィリアム・ブロディーは昼間は実業家であったが、夜間は盗賊として18年間に数十件の盗みを働き、スコットランド間接税務局本部の襲撃計画が露見して1788年に処刑された人物であり、ロバート・ルイス・スティーブンソンとウィリアム・ヘンリーは、この事件をもとに戯曲「組合長ブロディー、もしくは二重生活」を書き、ジキル博士とハイド氏を書く2年前の[[1884年]]にロンドンのプリンス劇場で初演している。
 
== 日本語訳 ==