「ウジェーヌ・アジェ」の版間の差分

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===第1次世界大戦まで===
 
アジェはこの少し前頃から写真を撮り始めた。18x24センチのガラス乾板を使う木製の暗箱カメラで,レンズボードを上下にあおれるものである。当時,パリの有名な建築物や名所を撮って観光客に売る写真家が多くいた。そのような絵葉書が多く残っている。しかし,アジェはそのようなものを撮ることはなかった。アジェが最初に手がけたシリーズは路上で商いをする人々の写真である。
 
アジェが写真家になったのは演劇人のヴィクトリアン・ラルドゥの進めがあったようだ。当時,パリの有名な建築物や名所を撮って観光客に売る写真家が多くいた。そのような絵葉書が多く残っている。しかし,アジェはそのようなものを撮ることはなかった。アジェが最初に手がけたシリーズは路上で商いをする人々の写真である。
 
パリに最初に住んだ場所はわからない。1899年10月にモンパルナスのカンパーニュ・プルミエール街17番地乙に引っ越してきた。ここに死ぬまで住むことになる。
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==死後の評価==
彼の撮影した作品の多くは、死後発掘公表された。[[フランス第三共和政]]下のパリの様子をとどめた貴重な記録であり、都市風景を撮影する手本として評価された。
 
日本の写真家が街中で'''アジェする'''というとき、彼の功績を念頭に置いているといえる。
 
==様々な伝説==
 
==日本語の主要参考文献==
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== 関連項目 ==
* [[写真]]
* [[ベレニス・アボット]]
* [[マン・レイ]]
* [[ウォーカー・エバンス]]
* [[ヴァルター・ベンヤミン]]
 
==外部リンク (コレクション) ==