「印パ戦争」の版間の差分
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このころ[[国際連合]]は[[包括的核実験禁止条約]](CTBT)締結に向けて動き出しており、これを受けた[[1995年]]の中華人民共和国と[[フランス]]の相次ぐ「駆け込み実験」が非難されるなどしたが、[[1996年]]には[[国連総会]]でCTBTが採択される。しかし、[[1998年]]5月にインドが地下核実験を強行、対抗したパキスタンは数日後に核実験を実施し、世界で7番目の核保有国となった。
[[1995年]]と[[1999年]]の「[[カシミール紛争]]」では印パ両国の対立が極限に高まり、全面核戦争の危機が語られた。しかし1999年のパキスタン軍事クーデターによって就任した[[ムシャラフ]]前大統領は、段階的にインドとの協調路線をとっていたため、過激派のテロ攻撃があっても、政治的には非常に安定していた。しかし、[[2008年]]の[[ムンバイ同時多発テロ]]以降、印パ関係が危ぶまれ
== 関連項目 ==
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