「やまざきかずお」の版間の差分

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== 人物 ==
長く[[スタジオディーン]]に所属し、初期は『[[機動戦士ガンダム]]』などの作画を担当。続いてスタジオディーンが『[[うる星やつら (アニメ)|うる星やつら]]』の作画をグロス請けしたのに伴い、作画監督を務める。丁寧な作画技術は監督の[[押井守]]からも評価されており、劇場版の『[[うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー]]』でも作画監督([[森山雄治|もりやまゆうじ]]と連名)をテレビシリーズから抜ける形で務めている。
 
1984年4月放映分より同作のチーフ・ディレクターを押井の後任として担当した。また、同作の劇場版についても1985年と1986年に監督を務めた。初めはあまり演出業に乗り気ではなかったとされるが、やがて演出を本業として作画は行わなくなる。だが、やまざきの作画を評価する視聴者もおり、演出業への転出を惜しむ声もある。
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1986年に『うる星やつら』の放映が終了すると、引き続き同じ放送枠の後番組となった『[[めぞん一刻 (アニメ)|めぞん一刻]]』のチーフ・ディレクターに就任した。しかし、半年後にやまざきを含めたメインスタッフが交代することとなり、退任している。
 
1980年代中盤、アニメファンから極めて高い支持を得ていた『うる星やつら』が、原作終了以前にテレビシリーズや劇場版の制作が終了となった(劇場版については後日「完結編」などが制作されている最大の責任者という見方が一部にある{{要出典}}。とはいえ、彼がチーフ・ディレクターを担当した時期の「うる星やつら」が、同時期の日本のアニメに比しても明らかに出来が悪かったと言い切ることは難しい。また、押井が辞めた後の「うる星やつら」を引き受けて、押井と同程度かそれ以上のものを創れた人物が存在したかどうかという点も疑問が残る。このように考えると、誰がやっても批判される役回りを敢えて引き受けざるを得なかった人物と見ることも出来る。
 
== 『うる星やつら』におけるやまざきの評価 ==
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{{独自研究}}
前任の押井が映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』のヒットでカリスマ化したこともあり、やまざきが演出した作品には否定的な意見を示す者も少なくない。例えば「原作のイメージからかけ離れている」「原作中の諸星あたるとラムの間の恋愛感情描写をアニメに取り入れず、全く内容の違う話にした」などの批判がある。原作からかけ離れたアニメを作ったという点では前任の押井もやまざきに引けを取らないが(『ビューティフル・ドリーマー』に対する反応については同作の項目を参照)、押井の場合は押井流の「うる星やつら」としてアニメ・ファンから強く支持されていたのに対し、やまざき演出作品はそこまでの訴求力を持ち得なかった。
 
結果として押井風でも原作風でもないやまざきの演出への批判は高まり、「原作は読むがアニメは見ない」というファンが増えたとされている{{要出典}}<!--出来れば統計などの実証資料を-->。
 
映画『[[うる星やつら4 ラム・ザ・フォーエバー]]』においては、やまざきが当時入れ込んでいたという映画『[[ブレードランナー]]』から影響を強く受けたという難解なストーリーで、映像は極めて高品質のものではあったが、「元のギャグ・[[ラブコメディー]]から余りにもかけ離れ過ぎた」という理由で、熾烈な非難を浴びせるファンも存在した。