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'''李 璟'''(り けい)は[[五代十国時代|十国]]・[[南唐]]の第2代[[皇帝]]。初名は'''徐 景通'''であったが、南唐建国後に'''李璟'''と改名し、さらに[[後周]]の臣下を称したあと[[後周]]の信祖・郭璟(太祖・[[郭威]]の高祖父)の[[諱]]を避けて'''李景'''と再改名した。
 
[[957年]]に後周の軍が南唐に侵入、南唐の領域であった[[淮南]]を占拠し、さらに[[長江]]一帯に迫ると、李璟は後周の世宗である[[柴栄]]に使者を送り、自ら臣下と称して帝号を廃止、国主を自称し後周の年号を用いた。
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{{先代次代|[[南唐]]の[[中国帝王一覧|皇帝・国主]]|初代:[[943年]] - [[961年]]|[[李ベン]]|[[李イク|李煜]]}}
 
{{DEFAULTSORT:り けい}}
[[Category:十国の君主]]
[[Category:南唐|けい]]