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'''伊豆大島近海地震'''(いずおおしまきんかいじしん)は、[[1978年]](昭和53年)[[1月14日]]午後0時24分39秒、[[伊豆大島]]西岸沖約15km([[北緯]]34度46分、[[東経]]139度15分)を[[震源]]として発生した。[[マグニチュード|M]]は7.0。伊豆大島と[[神奈川県]][[横浜市]]で[[震度]]5を観測したが、震源域が陸におよんでいたため、[[静岡県]][[賀茂郡 (静岡県)|賀茂郡]][[東伊豆町]]では、震度6相当の揺れに襲われた。
被害は伊豆大島よりも[[伊豆半島]]東部に集中。崖崩れなどにより、多数の死者を出した。また、猛毒の[[シアン化ナトリウム]](青酸ソーダ)が[[狩野川]]を経て[[駿河湾]]へと流れ込み、魚貝類に多大な被害を与えた。
 
[[気象庁]]による正式名称は「1978年伊豆大島近海の地震」であるが、ほとんどの場合、「伊豆大島近海地震」と呼ばれる。
 
==被害==
この地震による被害の総計は、死者23名、行方不明者2名、負傷者211名、全壊96戸、半壊616戸、地滑り・崖崩れ191箇所、道路損壊1141箇所である。このうち、25名の犠牲者は全て[[伊豆半島]]東岸で出た。
[[東伊豆町]]は、負傷者、全壊・半壊家屋、地滑り・崖崩れ件数、道路損壊など、ほとんどの項目で最多を記録した。負傷者109名、全壊56戸、半壊460戸で、いずれも全体の半数以上を占めている。これに、[[河津町]]、[[天城湯ヶ島町]](現・[[伊豆市]])の被害数を加えると、総被害の大半を占めてしまう。対して[[大島町]]は、人的被害・全半壊家屋ともになかった。
 
被害の多かった伊豆半島東部で目立ったのは、地滑り・崖崩れなどである。その中でも、多くの命を奪ったのが、河津町見高入谷地区で発生した地滑りであった。長さ約300m、幅は約200m、高さ約30mに及ぶ大規模な地滑りで、4世帯、10戸が土砂に埋まり、7名が死亡した。
河津町では、県道を走行中のバスが崖崩れに直撃され、運転手を除く、乗客3名が死亡、8名が負傷した。その他にも落石や山崩れにより、各所で交通が遮断された。
 
これまでに例がなかった事故も発生した。[[天城湯ヶ島町]]にある鉱山で廃液堆積貯水池の堰堤が崩壊、猛毒の[[シアン化ナトリウム]]を含む廃水約10tが持越川に流出、これが[[狩野川]]を経て、[[駿河湾]]に流れ込んだ。海水は汚染され、魚介類に被害を出し、汚染地域の水を使う住民を不安におとしいれた。事故が起きたのは、鉱山から鉱物を掘った後に出る[[鉱滓]](こうさい)が原因だった。水抜きが不十分だったために地震の揺れで[[液状化]]し、堰堤を破壊したと見られている。
 
なお、[[断層]]も見つかっている。[[東伊豆町]]では、[[伊豆急行]]の稲取トンネル内を断層が横切った。変位量は最大で約1.2mであった。この断層は「稲取・大峯山断層」と呼ばれている。この他にも、10cm程度の変位量を示した副断層も見つかっているが、こちらは「根木の田断層」と呼ばれている。また、[[気象庁]]から[[津波注意報]]が発令されたが、[[大島町]]岡田地区で70cmを記録しただけにとどまり、大きな被害はなかった。
 
==その他==
この地震では、前兆現象が数多く報告された。犬がほえ続けたり、池の魚が発作を起こしたように泳いだなどである。こうした現象は、[[本震]]の3日前からあったといわれる。これが1日前には急激に増え、半日前には40件以上も報告があった。
さらに、[[前震]]も活発で、9時45分と47分には、M5[[マグニチュード|M]]5.2(最大[[震度]]4)を記録した。[[余震]]も多く、[[本震]]の直後には、100回を超える余震があった。翌日の最大余震(M5([[マグニチュード|M]]5.8)では、伊豆半島に被害を生じた。
 
この地震から4日後、[[地震予知連絡会]]が示した見解を元に、静岡県知事名で「今後マグニチュード6クラスの余震が起こりうる」と、静岡県災害対策本部から各市町村の消防本部に余震情報が伝えられた。その際、「今後数日以内に」という文言が「(予測が)外れたら困る」との理由で削除された<ref>2010年6月8日付読売新聞より</ref>。そして、その情報を聞いた人々の口から口へ伝わるうちに「[[マグニチュード]]6」が「[[震度]]6」となり、いつしか「午後6時に大きな地震が来る」と[[噂|間違った情報]]が流れてしまったことにより静岡県下で一時パニックになった。
 
「伊豆の道路は路肩が弱い」というのは、ドライバーの間でよくいわれることであるが、[[伊豆半島]]は、地震に弱い特性を持つ第三紀層と[[火山岩]]で形成されており、地滑りなどを起こしやすい。それに加えて、陸地が海に向かって一気に落ち込む険しい地形など自然災害が起きる条件がそろっているといえる。これは、[[1974年]](昭和49年)に南伊豆を直撃した[[伊豆半島沖地震]]でも指摘されていたことであった。
 
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
{{日本近代地震}}