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また精神分析の[[臨床]]においても、「死の欲動」のようなものは陰性治癒反応(分析に反抗して医師に抵抗したり症状をむしろ悪化させること)から想定されたが、それがいったい何によって引き起こされているのは謎であった。
 
このような精神分析の状況の中で、フロイトが最初に「死の欲動」という語を用いたのは[[1920年]]に著した『快楽原則の彼岸』である<ref>「死の欲動」の発想自体は彼の家族の死別などによって引き起こされたと言われているが、精神分析の論文では特に1917年の『喪とメランコリー』から死の欲動の明確な認識が深まったと言われてい。[[小此木啓吾]]の著作や[[ロナルド・フェアベーン|フェアベーン]]の著作を参照。 </ref>。彼は人間の精神生活にある[[無意識]]的な自己破壊的・自己処罰的傾向に注目した。この時期に彼の考え方は「快楽が生」から「死の欲動との闘いが生」へと大きく転換したとされる。彼は[[神経症]]における[[強迫観念]]、[[第一次世界大戦]]帰還兵の[[心的外傷]]の[[フラッシュバック (心理現象)|フラッシュバック現象]]、少女の「いる・いない」遊び観察で見られた不快なはずの母の不在の反復などから、従来の持論であった快感原則からは説明できない心理を見出した。死の欲動理論はそれ以後のフロイト理論を改定する大きなきっかけとなっていく。
 
以下、『死の欲動―臨床人間学ノート』112~114項から、フロイトにおける「死の欲動」の要約を抜き出す。
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Federnは最重度の[[メランコリー]]に「死の欲動」が観察されるとし、同様の指摘はしばしばなされる。フロイトの弟子にも受け入れた者はいたが、しかし大勢ではフロイトの「死の欲動」概念は批判が多く、フロイト死後になってから、死の欲動の考えを取り入れた学者達により新たな展開がなされてゆく。継承発展させた人物は[[メラニー・クライン]]、[[ジャック・ラカン]]が代表的である。
 
現代では「死の欲動」という概念は精神分析の臨床では用いられにくく、むしろ「攻撃性(アグレッショ)」それ自体が本質的なものとして考えられている。それは臨床において現れるのは「死の欲動」という[[概念]]ではなく、むしろ[[医師]]への攻撃的な反応や怒りだからである。また[[自傷行為]]や[[自罰行為]]も見られ、このことから「攻撃的なもの」としての死の欲動の概念が深く考えられるようになった。
 
[[対象関係論]]においては[[リビドー]]と攻撃性が非常に重要である。特に[[メラニークライン]]やその後継者においては[[不安]]や[[迫害妄想]]に焦点が当てられている。[[精神病]]の患者自身を破壊する幻聴などの源泉として死の欲動が援用される。死の欲動や分裂した悪い自我部分は投影性同一視として、幻覚や幻聴を通して患者に帰ってくるという考え方などが言われている。
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== 参考文献 ==
*熊倉伸宏『死の欲動―臨床人間学ノート』新興医学出版社 2000年 ISBN 4880024236
*[[小此木啓吾]]『フロイト思想のキーワード』講談社現代新書 2002年 ISBN 4061495852
*[[ジークムント・フロイト]] [[中山元]]『自我論集』筑摩書房 1996年 ISBN 4480082492
 
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*[[ジークムント・フロイト]] [[中山元]]『人はなぜ戦争をするのか』光文社古典新訳文庫 2008年 ISBN 4334751504
*[[アーノルド・ゴールドバーグ]] 岡秀樹『自己心理学とその臨床』岩崎学術出版社 1991年 ISBN 4753391124
*[[ロナルド・フェアベーン]]『人格の精神分析学』講談社学術文庫 1995年 ISBN 4061591738
 
*[[メラニー・クライン]]『メラニー・クライン著作集』誠信書房
== 関連項目 ==
* [[リビドー]]