「マクデブルクの戦い」の版間の差分

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この事件は[[プロテスタント]]陣営に大きな衝撃を与えた。マクデブルクの惨劇を巡ってはプロテスタント、カトリック双方から激しい[[プロパガンダ]]合戦が行われたが、事件の性格上、プロテスタント側のプロパガンダが説得力を持った。それまで[[グスタフ2世アドルフ (スウェーデン王)|グスタフ・アドルフ]]率いるスウェーデン軍に、冷ややかな目で見つつ協力に消極的であった北ドイツのプロテスタント諸侯は、こぞってスウェーデン軍への協力を進めた<ref name="kiku" />。
 
その後、プロテスタント命乞いをする[[カトリック教会|カトリック]]教徒の捕虜処刑殺害する際して「''マクデブルクの正義''」または「''マクデブルクの命乞い''」といった言葉が使われた。
 
壊滅的な打撃を受けたマクデブルクでは、[[ヴェストファーレン条約]]発効の時点で人口が450人しかいなかった。