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→‎歴史: 地方行政機関
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[[Image:Nabeshima Naomasa.jpg|120px|thumb|right|鍋島直正]]
[[Image:Shima Yoshitake.gif|120px|thumb|right|島義勇]]
「使」という名称は、[[律令制]]の下で使用された職名であり、明治になって再度使われた。古代では臨時の独自な任務をこなした。
明治政府は中央・地方官制に頼らず、国家権力の独自の政策、つまり、「蝦夷地之儀ハ皇国ノ北門」という認識であり、ロシアに対する危機感とともに開拓自身が近代国家の任務と考えられ、開拓のための臨時の地方行政機関であった。<ref>船津功「開拓使の時代」 田端宏・桑原真人・船津功・関口明『北海道の歴史』山川出版社 2003年3月 177-179ページ</ref>
 
===鍋島直正から東久世通禧の時代===
*開拓使は、省と同格の中央官庁の1つである。北方開拓を重視する政府の姿勢の表れだが、初めの数年は力不足で、内実が伴いはじめるのは明治4年(1871年)からであった。