「米州ボリバル同盟」の版間の差分

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== 経緯 ==
本同盟は、[[2004年]]末に[[キューバ]]と[[ベネズエラ]]([[チャベス大統領]])が米国主導の競争原理に基づく市場優先の[[新自由主義]]的な地域統合構想(米州自由貿易圏:[[FTAA]])に対抗して、中南米・カリブ海諸国の相互支援と協力、連帯、社会開発の共同などを協定したのが始まりである。
*その後加盟国は9カ国に増えたが、[[2009年]]ホンジェラスでクーデターが起こり、2010年1月にロボ政権が誕生したが、本同盟を離脱を表明した。本同盟8カ国は、ロボ政権を承認していない。
*[[2009年]]6月、機構名を「米州ボリバル同盟」と改めることを決定<ref>[http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2009-06-27/2009062706_01_1.html 貧困ない社会へ連帯 ALBA(米州ボリバル代替構想)首脳会議 3カ国が新加盟] しんぶん赤旗2009年6月27日</ref>。
*[[2010年]]には、域内[[貿易]][[決済]]のための仮想通貨[[スクレ (通貨)|スクレ]]の導入を決めている。
*2010年6月24日、本同盟の首脳会議が[[エクアドル]]のオタパロで開かれた。会議では、貿易協定や経済協定の具体化について話し合うことや先住民やアフリカ系住民の社会政策への参加を図ることなどが目的である。加盟諸国から先住民の代表等300人も出席している。25日には、先住民の生活・地位向上への努力、環境に責任を負う社会の建設などをうたった最終文書「オタバロ宣言」を採択して閉幕するした
 
== 参加国 ==