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'''呂 秀蓮'''(りょ しゅうれん、ろ しゅうれん、[[1944年]][[6月6日]] - )は、[[中華民国]]([[台湾]])の[[政治家]]。[[民主進歩党]](民進党)の代表的な政治家で、[[陳水扁]][[中華民国総統|総統]]のもとで[[中華民国副総統|副総統]]を8年間務めた。
== 経歴 ==
[[日本統治時代 (台湾)|日本統治時代]]の台湾[[新竹州]]桃園郡(現在の[[桃園県]])生まれ。[[台湾大学]]法学部卒業後、渡米し、[[イリノイ大学]]及び[[ハーバード大学]]で法学修士を取得。留学中に接した現地の婦人団体の活発な活動に感銘を受け、帰国後台湾で女性の地位向上のための社会運動を進めるべく、何度か婦人団体立ち上げを試みるものの、当局の介入によりいずれも挫折する。
やがて民主化勢力(いわゆる「党外」)の政論月刊誌『美麗島』の創刊に参画し、副社長に就任。[[1979年]][[12月10日]]、[[高雄市]]の人権集会での演説を理由に、[[施明徳]]、[[黄信介]]、[[林義雄 (台湾)|林義雄]]らと
[[1992年]]、桃園地区から[[中華民国立法院|立法委員]]に当選し、[[1994年]]2月の第3回世界婦人サミットの誘致に尽力するなど、主に外交と婦人問題の分野で活躍した。[[1996年]]には[[李登輝]]政権下で[[総統府]]国策顧問に招聘された。翌年の桃園県長殺害に伴う補欠選挙に出馬、圧倒的な強さで当選し桃園[[県長]]に就任した。
[[2000年中華民国総統選挙|2000年総統選]]で、
[[2004年中華民国総統選挙|2004年総統選]]では、
副総統在任中は「二つの中国」を公然と主張し、「一つの中国が中華人民共和国のことを指すなら、台湾人は当然中国人ではない」といった発言をするなど、歯に衣を
[[2007年]][[9月21日]]、首長特別費(交際費)を偽造した領収書で引き出し、不正に使用したとして横領罪などの容疑で、[[游錫堃]]民進党主席、[[陳唐山]]国家安全会議秘書らと共に検察当局(最高検察署)に起訴された。その後、逮捕された陳水扁前総統に対しては批判的なスタンスをとっている。
副総統退任後まもない[[2008年]]6月に訪日し、「日本
== 脚注 ==
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