「マルグリット3世 (フランドル女伯)」の版間の差分

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[[ファイル:Marguerite de Flandre 1.jpg|200px|thumb|right|マルグリット・ド・ダンピエール]]
'''マルグリット・ド・ダンピエール'''(Marguerite de Dampierre, [[1350年]][[4月13日]] - [[1405年]][[3月16日]]/[[3月21日]])は、[[フランドル伯|フランドル女伯]](マルグリット3世、在位:1384:[[1384]] - 1405年)および[[ブルゴーニュ伯|ブルゴーニュ女伯]](マルグリット2世、在位:同)。2度にわたって[[ブルゴーニュ公国|ブルゴーニュ公]]妃となった人物である。
 
フランドル伯[[ルイ2世 (フランドル伯)|ルイ2世]]と[[ブラバント公]][[ジャン3世 (ブラバント公)|ジャン3世]]の娘マルグリットの長女として生まれた。[[1357年]]、7歳でブルゴーニュ公[[フィリップ1世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ(11]]([[ウード4世 (ブルゴーニュ公)|ウード4世]]の孫で[[はとこ|又従兄]]に当たる)と結婚した。しかしフィリップ1世は4年後に15歳で死去したため、公位は[[フランス王国|フランス]]王[[ジャン2世 (フランス王)|ジャン2世]]のものとなった。[[1363年]]、ジャン2世は息子[[フィリップ2世 (ブルゴーニュ公)|フィリップ(豪胆公)]]をブルゴーニュ公(フィリップ2世、豪胆公)とした。
 
ルイ2世は[[イングランド]]と友好を保つべく、マルグリットをフランス人と結婚させたくなかったが、母を通じてブラバント公領相続人となっていた彼女を妻に望む者は多く、マルグリットは[[1369年]]にフィリップ豪胆公と再婚した。[[1384年]]のルイ2世の死により(兄弟らは既に早世していた)、フランドル伯位はマルグリットと夫フィリップが相続した。
 
==子女==
*[[ジャン1世 (ブルゴーニュ公)|ジャン]](1371年 - 1419年)  - ブルゴーニュ公「無怖公」
*シャルル(1372年 - 1373年)
*マルグリット(1374年 - 1441年)  - [[バイエルン大公|下バイエルン=シュトラウビング公]]・[[エノー伯]]・[[ホラント伯]]・[[ゼーラント伯]][[ヴィルヘルム2世 (バイエルン公)|ヴィルヘルム2世]]妃
*ルイ(1377年 - 1378年)
*カトリーヌ(1378年 - 1425年)  - [[オーストリア君主一覧|オーストリア公]][[レオポルト4世 (オーストリア公)|レオポルト4世]]妃
*ボンヌ(1379年 - 1394年)
*[[アントワーヌ (ブラバント公)|アントワーヌ]](1386年 - 1415年)  - ブラバント公。[[アジャンクールの戦い]]で戦死。
*マリー(1386年 - 1422年)  - [[サヴォイア公国|サヴォイア公]][[フェリクス5世 (対立教皇)|アメデーオ8世]]妃
*フィリップ(1389年 - 1415年)  - ヌヴェール伯。アジャンクールの戦いで戦死。
 
{{先代次代|[[フランドル伯|フランドル女伯]]<br>[[ブルゴーニュ伯|ブルゴーニュ女伯]]|1384年 - 1405年|[[ルイ2世 (フランドル伯)|ルイ2世]]|[[ジャン1世 (ブルゴーニュ公)|ジャン無怖公]]}}