「オランダ改革派」の版間の差分

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オランダはカトリックの[[ハプスブルク家]]スペインとの[[八十年戦争]]の結果、1648年の[[ヴェストファーレン条約|ウェストファリア条約]]で独立を承認された。新教(プロテスタント)国家であり、国王もオランダ改革派であった。
 
19世紀になると、オランダ改革派教会は二度の大きな分裂を体験した。第一次分裂は1834年に起こった。発端はウルラム教会の牧師ヘンドリク・ドゥ・コックが18世紀のオランダ改革派教会を席巻した自由主義的な神学に反対したことによる。第二次分裂は1886年に起こった。発端は当時アムステルダム教会の牧師であったアブラハム・カイパーの教団批判による。カイパーは教団離脱後、新たな「オランダ改革派教会」(Gereformeerde Kerken in Nederland (GKN))を創設し、さらにアムステルダム自由大学の創設や、史上初のキリスト教民主主義政党「反革命党」の立党やなどにも携わり、一大勢力を築いた。
 
1960年代以降、二つの異なる「オランダ改革派教会」(NHKとGKN)は再び一つの教団になることを願うようになった。その後、さらにオランダ王国福音ルーテル教会も合同運動に参加した。2004年5月1日、三つの教団の合同が完了し、「オランダプロテスタント教会」と命名された。
 
== その他 ==