「プラッツバーグの戦い」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m ロボットによる 変更: pl:Bitwa pod Plattsburghiem |
編集の要約なし |
||
1行目:
{{Infobox Military Conflict
|image=[[File:Battleofpburg.jpg|300px]]
|caption=
|conflict=プラッツバーグの戦い<br />Battle of Plattsburgh
|partof=[[米英戦争]]
|date=[[1814年]][[9月6日]] - [[9月11日]]
|place=[[ニューヨーク州]][[プラッツバーグ (ニューヨーク州)|プラッツバーグ]]
|result=アメリカ軍の決定的勝利
|combatant1=[[イギリス軍]]
|combatant2=[[アメリカ軍]]
|commander1=[[ジョージ・プレボスト]]<br/>[[ジョージ・ドーニー
|commander2=[[トーマス・マ
|strength1=11,000名
|strength2=正規兵1,500名<br/>民兵1,900名
16行目:
|casualties2=200名
}}
'''プラッツバーグの戦い'''( - のたたかい、英:'''Battle of Plattsburgh'''、または'''シャンプレーン湖の戦い''' '''Battle of Lake
== 背景 ==
[[1814年]]、[[ナポレオン・ボナパルト]]が[[フランス]]の王座から追われた。このことによって、イギリスはよく鍛えられた軍隊を[[北アメリカ]]に送ることが可能になった。[[ジョージ・プレボスト]]総督はアメリカ合衆国に対して攻勢に出るために十分な戦力を持つことになった。プレボスト軍は、フランシス・ド・ロッテンバーグの指揮下に11,000名の正規兵を擁し、ジョージ・ドーニー指揮下の艦隊の支援も期待できた。アメリカとイギリスが休戦条約の交渉を行っている最中、プレボストは[[五大湖]]水路を支配するために交渉ネタを得ようとしていたので、この時点で意義有る勝利を挙げようと考えた。プレボストは[[リシュリュー川]]を南下し、[[シャンプレーン湖]]に至る侵攻路を選んだ。リシュリュー川はシャンプレーン湖と外洋を結ぶ唯一の水路であったので、シャンプレーン湖での交易はカナダを通して行われる必要があった。
ジョージ・イザド将軍が北西辺境のアメリカ軍指揮官であった。プレボストの侵略を前にして、[[アメリカ合衆国陸軍長官]]の[[ジョン・アームストロング (陸軍長官)|ジョン・アームストロング]]は、イザドにその部隊の大多数、4,000名を率いてオンタリオ湖のサケットの港を補強するよう命令を出した。アレクサンダー・マコーム准将はわずか1,500名の正規兵だけでシャンプレーン湖西岸のプラッツバーグを守ることになった。シャンプレーン湖の海軍を指揮するトーマス・マ
== イギリス軍の侵略 ==
27行目:
== 湖上戦 ==
マ
マ
== 陸戦 ==
[[9月6日]]にプレボストがプラッツバーグに到着した時、サラナック川を渡って、市内の防御戦に近づこうとした。川に架かる橋を守っていたのはジョン・エリス・ウール少佐の小さな正規兵部隊であった。ウールの正規兵はイギリス軍が川を渡る試みをすべて排除した。[[9月7日]]、プレボストは渡河の試みを暫く棄てて、その代わりに砲台を築き始めた。アメリカ軍は「ホット・ショット」という砲兵戦術で応じた。この戦術では砲弾を暖めて赤熱させ、目標に向かって素早く発砲させるものであった。マコームはイギリス軍が楯に使っていた幾つかの建物に対する砲撃を成功させ、イギリス軍を後退させた。しかし、この過程でプラッツバーグの16の建物を壊した。
[[9月9日]]、アメリカ軍は夜襲を掛けて、アメリカの防御戦からわずか500ヤード (450 m)のところに築かれたイギリス軍の砲台を破壊した。[[9月11日]]、プレボストは市中を制圧しアメリカ艦隊を陸の砲列とドーニーの艦隊で挟み撃ちにしようと作戦を立てた。午前9時、湖上戦が始まったとき、プレボストは市内への攻撃命令を出さなかった。プレボストが前進命令を出したのは午前11時であり、湖上戦はほとんど終わり、マ
プレボストは正面攻撃を避けて、サラナック川を渡り市の側面を衝く作戦にした。しかし数度に亘ってのサラナック川渡河の試みはまたしても排撃された。その西方では別のイギリス部隊がアメリカ民兵に攻撃を掛けて前進していた。民兵が後退すると、イギリス部隊が追撃し、アメリカ軍前線の背後が脅かされた。マコームはバーモントの民兵隊を増援に送り、パイクス・フォードでイギリス軍第76連隊に奇襲攻撃をかけて成功し、ほとんど全員を殺すか捕まえてしまった。イギリス軍がアメリカ軍の砦に総攻撃をかけようとしているとき、海軍が敗北したという知らせがプレボストの元に届いた。プレボストはバーモントへの侵攻も海軍の支援が無くては難しいと考え、攻撃中止とカナダへの撤退を命令した。
== 結果 ==
マ
イギリス軍は[[ブラーデンスバーグの戦い]]での勝利と[[ワシントンD.C.|ワシントン]]焼き討ちを使って、このプラッツバーグの戦いの前まで休戦交渉の間のアメリカの要求に対する対抗策とした。アメリカはプラッツバーグの反撃を使ってシャンプレーン湖の独占的支配権を要求し、イギリスの主張する五大湖の独占的支配権を排除しようとした。数日後に届いたプラッツバーグのアメリカの勝利と、[[ボルティモア]]包囲戦でのイギリス軍の失敗の知らせは、[[ガン条約]]交渉でイギリスの占領地に関する優位があることを否定した。
|