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1970年、モンテ・ヘルマン監督の[[ロード・ムービー]]『断絶(TWO-LANE BLACKTOP)』のオーディションに[[ジェームス・テイラー]]と共に合格、主役格のメカニック役で出演した。しかし、彼らをミュージシャンという先入観を持って見られるのを嫌った監督の意向で、当時音楽的に絶頂にあった二人の楽曲は採用されず、難解な内容であった映画も興行的に振るわなかったため、デニスはその後、俳優としてのキャリアを追求することはなかった。
 
[[1977年]]、ビーチ・ボーイズのメンバーで初となるソロ・アルバム『パシフィック・オーシャン・ブルー』をカリブー・レコードより発表。セールス的には振るわなかったものの、その重厚な内容は高く評価された。同作は[[2008年]]、未発表に終わった次作『バンブー』からの曲などを加えたレガシー・エディションとしてCD再発されている。
 
バンド内でのデニスと[[カール・ウィルソン|カール]]の音楽的進歩はバンドに大きな影響を与え、1980年代にビーチ・ボーイズは「アメリカン・バンド」として再び受け入れられることとなる。しかし、その後のバンドにおけるデニスの音楽的な貢献は、ドラッグやアルコールなどの悪影響もあり、限定的なものに留まった。
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1983年12月28日、泥酔状態のデニスは[[ロサンゼルス]]のマリーナ・デル・レイで自らの所有するヨット「ハーモニー号」の甲板から深夜の海に飛び込み溺死、39歳。彼は1984年1月4日にカリフォルニアの沖合に葬られた。
 
彼はその死で年の離れた妻、ショーン・ラヴ([[マイク・ラヴ]]の[[非嫡出子]])と幼い息子ゲージ・デニス・ウィルソン(1982年生)を遺した。デニスは四度結婚している。キャロル・フリードマンとの間に娘のジェニファー(他にキャロルの連れ子スコットがいる)、バーバラ・シャーレンとの間に二人の息子、マイケルとカールをもうけた。またロバート・ラムの妻であったカレン・ラムとも結婚歴があった。[[1970年代]]後半には[[フリートウッド・マック]]の[[クリスティン・マクヴィー]]と同棲していたこともある
 
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