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{{ infobox 教皇
[[ファイル:Pope Marcellus II.jpg|right|180px|マルケルス2世]]
| 日本語名 = マルケルス2世
'''マルケルス2世'''(Marcellus II [[1501年]][[5月6日]] - [[1555年]][[5月1日]])は[[対抗改革]]期の[[ローマ教皇]](在位:1555年4月9日 - 4月30日)。本名は'''マルチェッロ・チェルヴィーニ'''。本名をそのまま教皇名にした(今まででは)最後の教皇。即位後3週間で急逝。
| タイトル = 第222代 ローマ教皇
| 画像 = [[ファイル:Pope Marcellus II.jpg|right|180px150px|マルケルス2世]]
| 画像説明 =
| 就任 = 1555年4月9日
| 離任 = 1555年5月1日
| 先代 = [[ユリウス3世 (ローマ教皇)|ユリウス3世]]
| 次代 = [[パウルス4世 (ローマ教皇)|パウルス4世]]
| 司祭 =
| 司教 =
| その他 =
| 本名 = Marcello Cervini
| 生年月日 = 1501年5月6日
| 生地 = {{ITA}} [[モンテファーノ]]
| 没年月日 = 1555年5月1日
| 没地 = {{ITA}} [[ローマ]]
| 埋葬地 =
| 原国籍 =
| 宗派 =
| 居住地 =
| 親 =
| 妻 =
| 子 =
| 母校 =
| 署名 =
| 曖昧 = マルケルス
}}
 
'''マルケルス2世'''(Marcellus II [[1501年]][[5月6日]] - [[1555年]][[5月1日]])は[[対抗改革]]期の[[教皇|ローマ教皇]](在位:1555年[[4月9日]] - 45301日)。本名は'''マルチェッロ・チェルヴィーニ'''(Marcello Cervini)。本名をそのまま教皇名にした(今まででは)最後の教皇。即位後3週間で急逝。
[[アンコーナ]]生まれ。サンタクローチェの[[枢機卿]]であったが、[[1555年]][[4月9日]]に教皇[[ユリウス3世 (ローマ教皇)|ユリウス3世]]の後継者として教皇に選ばれた。しかし、すでに教皇選挙の疲れで体調を崩しており、教皇着座式で健康状態がさらに悪化。選出からわずか21日目にして急逝した。人柄もよく能力もあったため、教皇としての活躍を期待されていた。作曲家[[ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ]]の「'''教皇マルチェルスのミサ曲'''」は、伝統的にこの教皇のために作られたものとされてきた。
 
[[テファ]]生まれ。サンタクローチェの[[枢機卿]]であったが、[[1555年]][[4月9日]]に教皇[[ユリウス3世 (ローマ教皇)|ユリウス3世]]の後継者として教皇に選ばれた。しかし、すでに教皇選挙の疲れで体調を崩しており、教皇着座式で健康状態がさらに悪化。選出からわずか21日目にして急逝した。人柄もよく能力もあったため、教皇としての活躍を期待されていた。作曲家[[ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ]]の「'''教皇マルチェルスのミサ曲'''」は、伝統的にこの教皇のために作られたものとされてきた。
{{ローマ教皇|第222代: 1555年}}
 
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