「エマ・ゴールドマン」の版間の差分

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Dr jimmy (会話 | 投稿記録)
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== 来歴 ==
[[リトアニア]]の[[カウナス]](''Kaunas'')で[[ユダヤ人]]を両親に生まれる。暗殺などの政情不安から、13歳のときに一家はペテルブルに移住、そこで経済的事情で学校にも行けず、働くことになり、「女に学問はいらない」と説いて早く結婚させようとする父と対立した。
 
父との対立によって、1886年、15歳になったエマは姉とともに[[アメリカ合衆国|アメリカ]]へ移民。縫製工場で女工として働きながら、[[シカゴ]]のヘイマーケット暴動(''Haymarket Riot''、 ヘイ・マーケット事件とも、[[1886年]][[5月1日]])から刺激を受け、またこのころアナキストグループとも出会った。1889年、20歳にしてすでに革命家として[[アナキスト]]の自覚を持ち、[[ニューヨーク]]に拠点を移して各地で演説をこなすようになる。[[1892年]][[7月23日]]、エマは愛人であり、終生の友である[[ロシア]]生まれの[[アレクサンダー・バークマン]](''Alexander Berkman'')と共に、コークス会社のCEOでスト破りを繰り返していた[[ヘンリー・クレイ・フリック]]の暗殺を試みたが失敗し、2人は投獄された。[[1906年]]にはバークマンとともに機関紙『母なる大地』(''Mother Earth'')を創刊。1907年には[[アムステルダム]]の無政府主義者大会に出席した。