「アルブレヒト4世 (バイエルン公)」の版間の差分

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'''アルブレヒト4世'''(Albrecht IV., [[1447年]][[12月15日]] - [[1508年]][[3月18日]])は、[[15世紀]]の[[バイエルン大公|上バイエルン=ミュンヘン公]]。[[アルブレヒト3世 (バイエルン公)|アルブレヒト3世]]の3男。狡猾公(der Weise)の渾名を持つ。
 
聖職者になる予定だったが、長兄の[[ヨハン4世 (バイエルン公)|ヨハン4世]]が急死したため、次兄の[[ジギスムント (バイエルン公)|ジギスムント]]と共同統治することになった。[[1467年]]にジギスムントが公の座を降りて[[ダッハウ]]に居住したので、アルブレヒト4世の単独統治となった。ジギスムントは[[1501年]]に死去、ダッハウも返還された。
 
[[1486年]][[レーゲンスブルク]]を占領し、[[1487年]]に[[神聖ローマ皇帝]][[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)|フリードリヒ3世]]の娘[[クニグンデ・フォン・エスターライヒ|クニグンデ]]と勝手に結婚した。激怒したフリードリヒ3世と対立するも、義兄の[[ローマ王]][[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]の仲介で和睦した。[[チロル]]領主[[ジークムント (オーストリア大公)|ジークムント]]との紛争も解決、以後マクシミリアン1世に仕えた。
 
[[1503年]]、遠縁の[[バイエルン大公|下バイエルン=ランツフート公]][[ゲオルク (バイエルン公)|ゲオルク]]が死去、婿のループレヒト([[ライン宮中伯|プファルツ選帝侯]][[フィリップ (プファルツ選帝侯)|フィリップ]]の3男)が相続人に指名されたことに反発、[[ランツフート継承戦争]]を引き起こした。マクシミリアン1世の加勢も得てアルブレヒト4世はこの戦争に勝利、ゲオルクの遺領の大半を獲得しバイエルンを統一した。
 
以後のバイエルンの分裂を防ぐため、[[1506年]]に分割相続を禁止した布告を発布した。[[1508年]]のアルブレヒト4世の死後、長男の[[ヴィルヘルム4世 (バイエルン公)|ヴィルヘルム4世]]が相続したが、[[1516年]]に次男の[[ルートヴィヒ10世 (バイエルン公)|ルートヴィヒ10世]]も相続権を主張て兄に共同統治を認めさせた。[[1545年]]のルートヴィヒ10世の死によってバイエルンは再統一され、以後長子単独相続として続いていく。
 
== 関連項目 ==