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Tajima73 (会話 | 投稿記録)
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== 三河吉良氏 ==
=== 鎌倉時代 ===
[[鎌倉時代]]、[[足利義氏 (足利家3代目当主)|足利義氏]]の長男・'''長氏'''が[[三河国]][[碧海郡]]吉良荘(現・[[愛知県]][[西尾市]]・[[幡豆郡]])を[[貫]]としたのを契機に、「吉良名乗りとしたことに始まる。当時の吉良荘は古[[矢作川]]の東西にも広がっていたため、川の東西をそれぞれ「東条」(城は現[[幡豆郡]][[吉良町]]大字駮馬〈まだらめ〉字城山)・「西条」(城は現[[西尾市]])と区分して呼んでいた。長氏が拠ったのは、この西条の方であり、以降しばらくこの系統は''西条吉良氏''と呼ばれる。なお、この三河国吉良荘の吉良の語源は、[[荘園 (日本)|荘園]]内に[[雲母]](大和言葉で「きらら」)の鉱山を古くから有したためにつけられたものと言われている。
 
[[承久の乱]]以降、足利氏は三河国内に多くの所領を得たが、長氏の吉良氏はその中でも総指揮・監督権を委ねられる立場にあり、足利宗家から深い信頼を受けていたことがわかる。