「秋月氏」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Tajima73 (会話 | 投稿記録)
14行目:
 
== 概要 ==
[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]以前は、有史以前からの現在の[[福岡県]]に於ける実効支配者、戦国時代には武装し[[筑前国]][[朝倉郡]](現在の[[朝倉市]])[[秋月城]](天皇家に全権委任された、大宰府の行政権者であったため、「秋月御所」とも呼ばれた)を[[貫]]とする[[大身]]([[大名]]のうち鎌倉時代以前からの家柄のもの)、[[豊臣家]]による[[九州征伐]]において[[島津氏]]に味方し全面敗戦したが、朝廷の意向により断絶は許され、以後[[日向]][[高鍋藩]]に移封された。同地を領有しながら、身柄は[[大分県]]を主要領地とする[[大友氏]]に預けられ、そのまま明治維新を迎えた。明治維新後は[[貴族]]([[華族]])で、明治維新後の一時期、秋月家の当主は、現在の福岡県に存在した秋月県の事実上の世襲の知事に就任したが、すぐに福岡県と合併した。現在は、大友氏の根城であった府内城(現在の[[大分県]][[大分市]]大分及び錦町、現在の大分駅付近にある府内城は現代になって作られた観光地である)内の土地に定着しているが、学術的発掘による立ち退きにより、散りつつある。子孫のうち少数は東京都地方にも土着している。大蔵党とも呼ばれ、[[田尻氏]]・[[高橋氏#筑後高橋氏|筑後高橋氏]]などと共に[[大蔵氏]]([[阿知使主]]([[後漢]][[霊帝 (漢)|霊帝]]の子孫と称する)の後裔)。有史以前の氏族ゆえ、学術的には発祥は判然とせず定説はないが、歴史記述が始まって以来の朝廷との強い結びつきは明らかであり、朝廷との強い結びつきを有史以来近代まで保持しながら、一貫して地方を領有した(ただし、名義上の二条城主であったことを示す史料がある)という珍しい氏族として、日本史における興味深い研究対象である。
 
== 出自 ==