「哲学史」の版間の差分

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イスラーム哲学の節、出典を見つけたので、それを補記
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スコラ哲学の節 出典を一部見つけたので 補記
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==スコラ学==
ヨーロッパにおいて、
11-12世紀にかけて、[[大学]](universitas)で、[[リベラル・アーツ]]とこれを統べる哲学部、神学部、[[法学]]部、[[医学]]部の4学部ができ、これら諸学問の諸問題を、[[理性]]でdialectic([[弁証論]]的)に探究し、厳密な知識を獲得してゆく方法で発展していった<ref>『岩波 哲学・思想事典』【スコラ哲学】.p871-873</ref>。これは'''[[スコラ学]]'''と呼ばれている。
 
'''[[アンセルムス]]'''(1033 -1109)が、[[信仰]]から出発し、信ずることがらを理性によって可能な限り理解しようとした。信仰の真理を哲学的思考によって洞察してゆく神学的方法である<ref>『岩波 哲学・思想事典』【スコラ哲学】.p871-873</ref>。「'''fides quaerens intellectum''' (理解を求める信仰)」と呼ばれる<ref>『岩波 哲学・思想事典』【スコラ哲学】.p871-873</ref>
 
[[ペトルス・アベラルドゥス]](1079 - 1142)はdialectica ([[弁証論]])を探究し、スコラ学にそれをもたらした。アンセルムスとアベラルドゥスがスコラ学の土台を作ったとも言われるが、ここでは理性は神の存在を疑うために用いてはならず、「哲学は神学のはしためである。」とされたのである。