「ウェスティン朝鮮ホテル」の版間の差分

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== 歴史 ==
=== 開業 ===
[[1910年]]から行われた[[韓国併合]]により、[[朝鮮半島]]を直接統治した[[大日本帝国|日本]]の[[朝鮮総督府]]は、首府の[[京城府]](現在のソウル)に日本や諸外国からの貴賓客に対応できる宿泊施設の整備を構想した。その後計画は本格化し、[[朝鮮総督府鉄道]]の[[ソウル駅|京城駅]]からほど近い中心部の丘の上にあり、かつて[[李氏朝鮮]]の[[国王]]が祭礼を行った[[円丘壇]]のエリアに建設することを決定し、円丘壇の一部を取り壊し建設を進め、[[1914年]][[10月10日]]に朝鮮半島初の西洋式ホテルである「'''朝鮮ホテル'''」が開業した。
 
同ホテル朝鮮総督府鉄道の付属施設として位置づけられ、日本によって多くの西洋文物技術やノウハウが持ち込まれ、朝鮮半島で初の[[エレベーター]]が設置された建物となったほか、朝鮮半島で初の[[アイスクリーム]]も提供された。その後は[[東京]]の[[帝国ホテル]]や[[京都]]の[[ウェスティン都ホテル京都|都ホテル]]などと同様に朝鮮半島の[[迎賓館]]機能も兼ね備えたホテルとなった。<!--現在の同ホテルの資料によると、1915年にアメリカの[[ハーヴァード・フーヴァー]]大統領、1920年に日本の裕仁皇太子(後の[[昭和天皇]])が宿泊したとあるが、フーヴァーの大統領任期は1929-33年であり、裕仁の朝鮮訪問も未確認のため、検証が必要である。-->
そして[[朝鮮総督府鉄道]]の付属施設として、かつて[[李氏朝鮮]]の[[国王]]が祭礼を行った[[円丘壇]]の一部を取り壊し、[[1914年]][[10月10日]]に朝鮮半島初の西洋式ホテルである「'''朝鮮ホテル'''」が開業した。
 
その後[[1937年]]に勃発した[[日中戦争]]や、[[1941年]]に日本も参戦した[[第二次世界大戦]]下においても同ホテルは通常通りに営業を続け、ソウルを訪問した日本をはじめとする各国の要人から利用された。
同ホテルには日本によって多くの西洋文物が持ち込まれ、その後は[[東京]]の[[帝国ホテル]]などと同様に朝鮮半島の[[迎賓館]]機能も兼ね備えたホテルとなった。<!--現在の同ホテルの資料によると、1915年にアメリカの[[ハーヴァード・フーヴァー]]大統領、1920年に日本の裕仁皇太子(後の[[昭和天皇]])が宿泊したとあるが、フーヴァーの大統領任期は1929-33年であり、裕仁の朝鮮訪問も未確認のため、検証が必要である。-->
 
=== 運営移転 ===
[[1945年]][[8月15日]]に日本が[[第二次世界大戦連合国]]における日本の対して降伏が日本国民に対て放送さ、そに伴い日本による朝鮮の統治が終了(朝鮮が[[光復節 (韓国)|光復朝鮮の統治が終了]]すると朝鮮ホテルの状況も激変した。朝鮮総督府解体され、同ホテルの運営はることになり日本人から朝鮮人の手に移った。が撤退を進める中、ソウルを含む朝鮮半島南部で[[合国軍]]の1国として[[軍政]]を敷いた[[アメリカ軍]]は、同ホテルに[[在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁|軍政庁]]司令部を置き、これに伴い同ホテルの運営主体は朝鮮総督府鉄道からアメリカ軍へと移ることになった。また、その後ソウルに帰国した独立指導者の[[李承晩]]などの執務室も置かれることとなった。
 
=== 独立後 ===
[[1948年]]に大韓民国が独立し、李承晩が初代大統領に就任した後は運営主体が韓国人に移され、首都の置かれたソウルを代表するホテルとして君臨したものの、[[1950年]]に勃発した[[朝鮮戦争]]では、ソウルが[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)軍によって占領され、同ホテルも[[接収]]されたが、後に[[韓国軍]]により奪回された。
 
また、李承晩政権による「脱日本化」政策により、同ホテルの名称は日本語式の「Chosen Hotel」から韓国語(朝鮮語)式の「Chosun Hotel」に変更されたが、ほとんどの名詞で「朝鮮」が「[[大韓]]」(韓国)に改称された中でも、同ホテルは「[[朝鮮日報]]」とともに「朝鮮ホテル」の名称を残した。