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==定礎==
[[ファイル:Teiso6283.jpg|thumb|180px|定礎板の例]]
'''定礎'''(ていそ)は建物の土台となる礎石を定めること。そして、定礎式は定礎の式であった。本来、[[住宅]]などを建てる際には、土台の石が必要であったため、定礎式は工事にとりかかることであったが、現在はビルなどに竣工年月日等を彫り込んだ定礎板を埋め込む式典などに変化しており、ある程度建設が進んでから式が行われることもある。定礎石(定礎板)は南東に置かれる事がほとんどである。
 
定礎板の中、[[鉛]]・[[銅]]・[[ステンレス]]製などの定礎箱が埋め込まれ、建物の図面・定礎式当日の新聞・出資者名簿などが入れられ[[タイムカプセル]]化されている事もある。内容は<ref>[http://www.tcat.ne.jp/~inone/teisobakononakami.html 定礎箱の中身と定礎式当日]</ref>。建物新聞破壊や修理以外出資者名簿通常では中身を見る事はでき
 
==礎石建物==
[[ファイル:池田城4.jpg|thumb|[[池田城 (摂津国)]]の御殿礎石跡]]
礎石建物の歴史は古く、古代[[城柵]]遺跡・国府跡・寺院跡、中世[[寺院]]跡には広くみられる。現存する世界最古の木造建築である[[法隆寺|法隆寺金堂]]にも礎石が用いられている。周知のとおり法隆寺は再建論争があったが、現存する礎石はいわゆる「若草伽藍」の礎石がつか使われているというから、その始まりは古い
 
礎石建物は畿内の寺院建築から始まって地方の古代官衙・城柵に広がり、中世の寺院、[[戦国時代]]の[[城]]などに取り入れられ、近世に入って上級武士の[[屋敷]]に広がって、最後に下級武士・商工業者・農家などに普及したものであろう。民家に広く礎石が使われるようになったのは[[江戸時代]]以降で、18世紀までは東日本では[[掘立柱建物]]が一般的であった。
 
礎石は古代[[城柵]]遺跡・国府跡・寺院跡、中世[[寺院]]跡には広くみられる。
 
礎石建物は畿内の寺院建築から始まって地方の古代官衙・城柵に広がり、中世の寺院、戦国時代の城などに取り入れられ、近世に入って上級武士の屋敷に広がって、最後に下級武士・商工業者・農家などに普及したものであろう。
 
==関連項目==
*[[掘立柱建物]]
*[[百万一心]]
 
==脚注==
<references/>
 
==外部リンク==